ブエルタ・ア・アンダルシア解説は・・
トリキ、ことマヌエル・ベルトランがライブ動画で解説を行った模様。

アンダルシアのハエン出身なので、地形に詳しい様子がわかった。
でも至ってゆるゆるした解説。
アナウンサーの方は、早口でなめらかにしゃべっていて、
ポルトガル出会ったラジオ実況中継担当者を思い出した。

ポルトガルではラジオがテレビに劣らずライブ中継では要となっているようで、
アナウンサーの慣れた早口には、ただただリスペクトなのだった。


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2018.02.18 Sun | Road Races| 0 track backs,
2017年 Raphaが選んだ栄冠の人々
今年の締めくくりに、Raphaゆかりの人々が選ぶ2017年栄冠の選手たち
が発表されている。

アントニオ・フレチャはミラノ~サンレモのペテル・サガン。
といってもクフィアトコフスキーに敗れ2位に終わったものの
リスクを顧みずに早々にアタックを開始したその勇姿に1票ということらしい。

その他Rapha幹部たちによってもそれぞれ1人ずつ選ばれていて、
サイモン・モトラムが選んだのはティレーノ~アドリアティコの第2ステージのゲラント・トーマス。
失望も多かったシーズンだったものの、その中でも輝いた場面を取り出している。

女子選手にスポットライトを当てた人もいて、
贔屓目を堂々と賞の形に表していて、予定調和的でない&ありふれていない点がユニーク。


Raphaパナシェ・アウォード

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2017.12.31 Sun | Road Races| 0 track backs,
コンタドール、命を救ってくれたフェルナンデス医師との対面
◆ コンタドールの競技人生集大成ビデオ 

コンタドール引退の時に過去のアーカイブなどから彼の足跡をたどるシリーズを
インプットしたけれど、その中に書いた文言(9月3日付け)
確認できるビデオがリリースされた。


該当箇所は:
>レースドクター、サンティアゴ・フェルナンデス・スビサレタの素早い行動が、
まずは彼の命を救った。
舌が喉の奥に吸い込まれ、軌道をふさいで窒息するリスクが高かったため、
すぐさま気道確保のチューブ挿入の決断をした。
「痙攣がひどくて、挿入するのは至難の業だった」そうだ。
この判断がなければ、こと切れていた可能性は高かった、と言う人もいる。<



以下のビデオには、まさにフェルナンデス医師がコンタドールの口の中に
太くて短いチューブを苦心して取り付ける様が登場する。

医師はとにかく一義的には気道確保に必死だ。刻一刻を争う場面であることがわかる。

(以下YOU TUBEは、その場面からスタートするように設定)




「やあ、久しぶりだなぁ」と2人は互いに言い合い、
「お元気そうで」とコンタドール。
「君こそ」、、といった会話が交わされたあと、当時の状況を医師が語る。

暴れる君を御すのが大変だったよ」、と言い救急車で搬送した時の話など。
病院に運ばれるシーンまでビデオに収められていた。

(以下はビデオ画像から)

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最後はコンタドールの言葉で締めくくられる:
あなたがいなかったら僕はここにはいなかった」。

それにしてもフェルナンデス医師、なにやら素敵・・


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さらに、9月のエントリーの以下の記事ー
>幸運なことに搬送先の病院には、新進気鋭の腕のいい女医がいた。
マリア・アウロラ・マルティネス。
弱冠35歳。
落車直後に、気道確保のためにチューブを挿入したドクター スビサレタと、
そしてこのマルティネス医師こそが、コンタドールの命を救った恩人、
と言われている。<


で触れた執刀医のマルティネス女史も登場。
プロのサイクリストだと聞かされて、単に命を救うことだけでなく、
プロ活動を視野に入れた対処を考えたと語っている。

「”彼は国内で最高のサイクリストであり、随一の脚を持つ選手だ”と聞かされて
プレッシャーが大きくて大変だった」、とも。

この部分もビデオの17分33秒のあたりから見ることができる。

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コンタドールはむろん、このとき途中で記憶が途絶えている。

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無題



母フランシスカさんやマネージャーの兄フランのインタビューもふんだんに。

母の話によると、明け方の3時にマノロ・サイス(監督)から電話があり
駆け付けた、とのこと。

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55分以上あって長いのでまだ断片的にしか見ていないが、
その他ペリコ・デルガドのインタビューなども。

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コンタドールの人生の紆余曲折が浮彫になっている。

2017.12.27 Wed | Road Races| 0 track backs,
ニュースアーカイブ更新情報
過去のニュースアーカイブの復旧作業進捗:2002年5月1~11日のニュースを一括インプット。



ニュース復旧作業で気が付いた点:

● 2002年ツールのワイルドカード公表は5月初頭だった。(5月1日に発表する、と通告しておきながら、実際の公表が後ずれするなど、当時は結構きっちりとは管理していなかったようだ。)このタイミングまで出場が決まらないとなると長期戦略は無理。Div2クラスのチームは当時かなりフレキシブルにやっていた、ともいえる。

● ツール主催者のコメントに驚愕:ツール主催者はワイルドカード発表のあと、パンターニのチームメルカトーネは不出場になったものの、ジロで好成績を出したら、招待を考える、などと正式コメントしていた。
忖度の極致・・・

● ウルリッヒご乱心はこの年だったらしい。飲酒運転、女性2人を同乗させて器物損壊、当て逃げ、免停・・・。

● 以前ジロやブエルタへのDiv1クラスのチームの出場は強制ではなく、2002年のジロに出場したフランスチームはゼロ、フランス人選手は1人だけ、だった。結局フランス人、イギリス人、日本人がひとりずつ、という分布。しかもそのイギリス人というのがマックス・シャンドリで純粋なイギリス人ではない(イギリス生まれのイタリア人で、途中でイギリス国籍取得。)


さらにニュースの中にはユーロ通貨統一の話も出てくるなど、時代がかっている。
もっとも2002年といえば今から15年も前。
ところどころセピア色なのも無理はない。
2017.12.17 Sun | Road Races| 0 track backs,
エストニアのファンキーなツイートが発信源:バルト海周辺の選手たちはいま
最近話題をまいているエストニア大使館のツイート。
バルト諸国の位置関係誤認番組に関するやんわりとした訂正なのだけど、このツイートをアップした友人のFBが、バルト三国出身の元ロード選手の話題で埋まった。


まずは各自がこの地方出身の選手で真っ先に浮かぶ選手名を提示:

・エストニアといえば、ヤン・キルシプー、
・ラトビアといえば、ロマンス・ヴァインシュタインス、
・リトアニアといえば、ライモンダス・ルムシャス、、、といった具合に。


そこで、これらの選手は今どうしてる?という話題に発展。
個人的にはルムシャスの近況はよく知っていた。
今年紙面をにぎわせていたので。
しかもあらたなる真っ黒な内容で。


2002年ツールの際に、ルムシャスの妻が80種類もの薬物輸送を行っていたことが判明し、
本人は刑務所に服役をしたりするが、その後復帰して再びEPO陽性。
学習能力のなさを世に知らしめていた。


そんな彼の2人の息子は親の背中を見て育ったせいか、自転車選手&ドーパーとしてすくすく成長。
今年5月、末息子のリーナスは、21歳の若さで意識不明になり死亡。
禁止薬物摂取が原因とみられる。

同じく自転車選手の上の息子ライモンダス・JRは今年10月、
ホルモン剤摂取で出場停止処分を受けていたことが判明した。


そんな中、ロマンス・ヴァインスタインスとヤン・キルシプーの動向は最近知らなかったので
調べてみた。

すると両者とも、それぞれ本国でコーチを務めるなど、若手育成に寄与しているようだった。

ヴァインスタインスは若い頃よりすっきりして、かっこよくなってる。(左)
キルシプーは想定内、つまり肉付きなどが、成人男性の成長見込み曲線に沿った年の重ね方!

2人とも、クリーンな選手育成に力を注いでほしいもの。


左:http://www.kurzemnieks.lv/sports/7309-atgriezies-ar-idejam-un-apnemibu/
右:http://app.m.ohtuleht.ee/807118/ohtulehe-video-jaan-kirsipuu-mmist-kangertit-pole-aga-taaramae-ja-raim-voivad-teha-hea-soidu
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ちなみにそれぞれ2001年のベルギー一周、2002年ツールの時に見かけた2人:
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ついでに2002年ツールで総合3位。
最後の(かりそめの)栄光ルムシャス。

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2017.12.15 Fri | Road Races| 0 track backs,
クリス・フルームの違反疑義に対しトニー・マルティンの反応
今年のブエルタ第18ステージの尿検査で、
adverse analytical finding=AAF=「違反が疑われる分析報告」を出したクリス・フルーム(チームスカイ)。

具体的にはサルブタモールの検出値が、WADAが定める1mL当たり1000ナノグラム の上限を超え、
2000ng/mL だった。


これに対し、カチューシャのトニー・マルティンがスカイのダブルスタンダードぶりに対し吠えている。(CW)
つまり、スカイはこれまでアンチドーピングに全力を尽くす、ゼロトレランスだ(寛容ZERO=容認は絶対しない)、と言っておきながら、
チームメンバーがAAFがを出した場合、それを擁護するという立場にまわっている、
この二重構造に対して怒っているようだ。


もしかしたらフルームは24時間で1600ng/mL 以下、12時間で800ng/mL 以下という定められた吸入量を守っていたのかもしれない。
そうであれば、治療のための特例申請TUE(Therapeutic Use Exemption)は必要ない。
それを厳守したうえで、たまたま検出値の誤差が大きく2000ng/mLになってしまったのかもしれない。

でもマルティンとしては、まだなにも証明されないうちに手放しで擁護するその態度が妥当ではない、
これまでチームが唱えていた「ゼロトレランス」は一体なんだったのか?
という思いがぬぐい切れないようだ。


ちなみにアレッサンドロ・ペタッキは、事前に喘息のTUEを出したうえで、
同じサルブタモールで上限値を超え1320ng/mLという数値を出してしまい、
12ヶ月の出所停止処分(当初2年)と解雇処分を受けた。


ディエゴ・ウリッシの場合は、1920ng/mL。
でも、クラッシュの影響で数値が急上昇したという説明をするなど
やり取りの末、9か月の出場停止処分で済んだ。


治療に使われる薬物なので、EPOのように全面禁止薬物に比べて
処分期間は短い傾向にある。

2017.12.14 Thu | Road Races| 0 track backs,
2002年4月分のロードレースニュースアーカイブ インプット終了
昔のロードレースニュース移行作業を少し前進させた。
2002年4月分のニュースまで移行完了。
==>


過去のエントリーの中には、自分でこんなことをつぶやいていたものがあった:

ミディリーブルのレース情報がほしくて主催者にメールしたら、
主催者がレース概要が掲載されている新聞紙コピーをPDFで送ってくれた、
便利な時代になったものだー、と。


2002年、そうか、HPはあったものの、情報はすかすかで、レース情報など
なかなか手に入れにくい情報だった。
新聞のPDFをメールの添付というかたちで送ってくれて、すごくうれしかったのだった。

今はそんな苦労はない。
HPどころかSNSであちこちの団体があれこれつぶやいてくれる。

苦労して手に入れる必要はなくなった。
こうして”個々のニュース獲得のために奮闘した思い出”
という事象はこの世から消えつつある。

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/

2017.12.05 Tue | Road Races| 0 track backs,
'08年世界選U-23銅メダルのジョン・デゲンコルプ
先日2008年世界戦U-23タイムトライアルで優勝した
アドリアーノ・マローリの写真を探していて見つけた。

同世界戦U-23ロードの方で銅メダルを獲ったときのジョン・デゲンコルプ。
弱冠19歳。

いたずらっ子の表情で、今とイメージがちょっと違う。


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金と銀メダルはそれぞれファビオ・ドゥアルテ、シモーネ・ポンツィだった。
デゲンコルプよりも2人とも、3歳ほど年上で、
今年の所属チームはそれぞれ、EPM–UNE–Área MetropolitanaとCCC–Sprandiだった。


会見で他の選手がしゃべっている間、ずっとスマホをいじっていたデゲンコルプ。
やんちゃ、という印象しか残っていない。

気が付いたらいつの間にか渋目の人になっていた。


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その後HTCでプロデビューしたのは2011年のこと。

2008年世界選の開催地はイタリアのヴァレーゼ。

馬の競技場が舞台だった。

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2017.11.28 Tue | Road Races| 0 track backs,
アドリアーノ・マローリの今後に幸ありと祈りつつ
先日モビスターのサイトでアドリアーノ・マローリの引退の様子を録画中継で見た。
寂しさを漂わせた会見だったけれど、特に頂点を見てしまった私にはその寂しさは
ひとしおだった。

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2008年世界戦にて Copyright@Masciclismo

* * * * *

2016年ブエルタ・ア・サンルイスのクラッシュで頭部を負傷、
一時は人工的昏睡状態に置かれるなどしてケガの状況が心配されたアドリアーノ・マローリ(モビスター)。

その年のうちに復帰を果たしたものの昔の走りとは程遠く、
今夏、ついに引退を発表した。

思い返せば2008年の世界選で優勝したとき、マローリはまだ20歳だった。


2008年U-23の個人タイムトライアルの様子を以下時系列で:

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先に走り終えたキャメロン・マイヤーが見守る中、快調に飛ばす。
そして優勝。
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表彰式直前の様子。感涙にむせるマローリ
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なんとかこらえようとする。
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自分の名前が呼ばれる直前、再びうるうると。
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もうすぐ彼の名前が呼ばれる番。
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うっすら笑顔。
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しかし虹色ジャージ=アルカンシェルを見た途端、感極まる。
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再び涙。
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セレモニー終わってガッツポーズ。
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オリカと契約を結び再びロードに戻ってくることになったマイヤーとともに。
2人の明暗は分かれた。
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銀メダリストのドイツ人パトリック・グレチュはHTCコロンビア、AG2Rに所属するも
余り大きな活躍なく。
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輝かしかった2008年。
世界選での優勝で感涙にむせんでいた純粋な姿が懐かしい。

輝かしい未来を見つめていた青年の目は、10年という時の流れとともに
栄光とともに大きな挫折も見てしまった。
リオ五輪を目指して優勝候補と言われつつ、その半年前に起こった悲劇。
そして引退。


ケガー引退の例はこれまで枚挙にいとまがないけれど、
今回の暗転は、いつもに増して胸にザラザラとした思いがこみ上げる。

新たな世界に向かって幸あれ、と願うばかり。


2017.11.23 Thu | Road Races| 0 track backs,
ニュースアーカイブ更新情報
過去のアーカイブ(2002年4月18日)を2件ほどアップ:

2017.11.19 Sun | Road Races| 0 track backs,
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