間一髪の・・
近頃知人が送ってくれた話。
間一髪、難を逃れてよかったです。


* * * Email from SN-san * * * *

キャノンデールチームがコースの試走に行く、というので
後ろをついていきました。ついて行ったファンは自分の他は
1人2人くらい。
チームのメンバーは欠場が出たので4人。途中までは適当に
おしゃべりをしつつ、信号で止まっては追いついて、という
ことを繰り返していました。

ホテルからコースに向かうと、コースにほど近い右手に
学校がありますね。その付近での出来事です。

先頭を走っていたのは、アルベルト・ベッティオール。
僕たちの前には小型のミニバンが走っていたのですが、
突然急ブレーキ!

「おい、まじかよ」と思う間もなく、ベッティオールも急ブレーキをかけ、
後輪が直径の高さ近くまで持ち上がるほど、バランスを
崩しました。その次の瞬間、「やばい!リアガラスに突っ込んで、
ガラス粉々になるんじゃ?!大怪我か?!」と、時間が止まる感覚がしました。

幸い、前転寸前で難を逃れたものの、すぐにミニバンは発進して
走り去ろうとしました。

「Wow,bull shit!」とか汚い言葉を思わず口にするのは
仕方ないにしろ、ベッティオールは「馬鹿野郎、ふざけるな!
おまえちょっと待て!」と言わんばかりの殺気だったオーラを
背中から大爆発させてゼロ発進のスプリントを決めてミニバンに
追いつき停車させました。

当然、猛抗議。チームのリーダー格のネイサン・ハースも
放っておく訳にいかないのか、それに合流し、「おまえ危ないだろ!
警察を呼ぶぞ!もしかすると牢屋行きだぞ!わかっているのか!」と
猛抗議。

しかし、ミニバンを運転していたおっさんは、「あんたら2列で
走っていたでしょ。法律違反だよ、法律違反」とか取り合わない。

ハースたちは日本語が喋れず、おっさんは英語が喋れないので、
意思疎通はできず(ここに軽いオチがあるわけですが(^o^;))、
ハースは手のひらを上に向けた両腕を広げて、「もう良いよ。
何言っても通じないのか」とあきらめ顔。

ちょっと心配したのは、頭にきて車を軽く蹴ったりするのは
後々、世間一般に広がる評判からするとマナー的にちょっとまずい、と
ハラハラしましたが、それは思いとどまった様子。

ミニバンが走り去り、コースに向かい始めたときにハースをなだめました。
「いや~、あんな急ブレーキは危ないよねぇ」
「そうだよね。突っ込んだら大怪我だよ。下手すると警察を
呼ぶことになるよ。あのドライバーは逮捕されちゃうぜ」
「ねぇ。怖いもんだ」とか。

まぁその日はもやもやした感覚は残ったのかもしれないですが、
少なくとも日本大好きなハースは「来年は移籍しちゃうけど、
ジャパンカップに呼んでよお~」と、インタビューを受けるたびに
要望を出していて、ファンにウケていたのは周知の通り。
2016.04.30 Sat | Road Races| 0 track backs,
マイケル・ロジャース引退に際して
心臓疾患が見つかり、様子をみていたマイケル・ロジャース。
競技生活続行を断念し、引退を決めたようだ。


2013年のジャパンカップでは、クレンブテロールで陽性結果を出したものの
その前に中国のレースで汚染肉を食した結果であったことが判明。
謹慎処分は解けた。

そのジャパンカップ(JC)には、2002年、マペイ所属時代にも参戦している。
まだ一般には名前が知られていなかったけれど、
1999年アマチュア時代に世界選TTU-23で銀メダルを獲っており、
実力は認められていた。

私はたまたまその年、つまり1999年にスペイン旅行へ行った折りに自転車雑誌を購入し、
彼のアマチュア時代の写真を見ていた。
2002年JCで目撃したときは、ああ、マペイというビッグチームでプロ入りしたんだ、
と感慨深かった。


そんなわけで、2002年ジャパンカップではツーショット写真を撮っていた。

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彼がU-23世界選TTで2位だった1999年、
優勝はスペインのホセイバン・グティエレスだった。

そして世界選エリートロードを制したのは
オスカル・フレイレ。

スペイン人大活躍の年だった。

そんなわけで、私が買ったスペインの雑誌は
世界選祭りという状況。

グティエレス、ロジャース、ペトロフのスリーショットのポディウム写真は
表紙になっていた。

フレイレの大きな顔写真の横に、小さく載っていたわけだけど、
世界選U-23の結果なるものを具体的にビジュアルで見たのは初めてだったせいもあり、
とても印象に残っている。


このほど引退の報に接し、思い出されるのは、
なぜかロジャースのことを初めて見たあの小さな雑誌の表紙写真なのだった。


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http://www.cyclingnews.com/news/michael-rogers-forced-to-retire-with-heart-ailment/


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ロードレースニュースアーカイブ更新:
(ランスはルビエラに首ったけ!)

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/
2016.04.26 Tue | Road Races| 0 track backs,
ツール観戦ツアー、町でビラ配り
目黒駅そばで某社がビラ配りをしていた。

通り過ぎようとしたら、ツール観戦ツアーです!と。

手に取る。
6泊8日間で1人当たり 548,000円。
2名1室前提。

ベルン、シャモニー、パリ泊。
最少10名以上で催行の由。

キャリアはJAL、ANA、AF、BA、ルフトハンザのいずれか。

ホテルは指定でベルンがベルビューパラス、
シャモニーがリッチモンド、
パリがマリオット・オペラ・アンバサダー。
レベルはなかなかのもの。

この旅行会社、これまでツール観戦ツアーを開催していなかったのでは。
新規参入かと思う。

もしかして例のテロでフランスへの旅行者が減っているため、
なんらかのハッキリしたテーマで人を集める作戦?

いずれにせよ、街でツールのツアーですよと声をかけられたのは初めて。
認知度が上がったのはなにより。


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2016.04.24 Sun | Road Races| 0 track backs,
エンリーコ・ガスパロット アムステルゴールド優勝おめでとう。

リクイガスでプロ入りした2005年、いきなりイタリアチャンピオンになり、
輝かしい一歩を踏み出したガスパロット。

前途洋々、イケイケムードを奏でていた。
その後紆余曲折あったものの、11年後の今年、アムステルゴールドで2勝目をあげた。



2005年パリ~ツールにて。
レースを共催するフランスのガス会社と、ガスつながりで記念撮影。

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レースニュースアーカイブ更新情報 ~
2001年11月初旬まで:

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/
2016.04.18 Mon | Road Races| 0 track backs,
『砂田弓弦写真集 ツール ・ド・フランス 続七月の輪舞』 刊行
  ヤエスメディアムック499
『砂田弓弦写真集 ツール ・ド・フランス 続七月の輪舞』

 ツール・ド・フランスはサッカーのワールドカップ、オリンピックに次ぐ世界3大スポーツイベントの一角を占めてしています。
 2009年に刊行した『砂田弓弦写真集 ツール ・ド・フランス七月の輪舞(ロンド)』は、大人気で版元品切れとなりました。その続編となる写真集を、5月18日(水)に刊行します。

 第1章「選手の感情」は、闘志・苦しみ・喜び・悲しみ・笑いという感情別の構成。第2章「レースの状況」は、街・観客・悪天候・事故という情景・状況別の構成。ここまでは2010〜2015年に撮影した写真を収めています。第3章は、1989年から現在に至る「記憶に残る選手」。ショーン・ケリー、グレッグ・レモン、ミゲル・インドゥライン、マルコ。パンターニなど、ポジフィルムで撮影した時代の貴重な写真も含まれています。

 各章の冒頭にはイントロ文、第1章と第2章はテーマごとにエッセイ、全写真に詳しい説明文が付き、写真と文章が相まって現代のツールを描き出します。
 砂田弓弦ファン、自転車レース観戦愛好者の皆様にお薦めの一冊です。
 
・序文 フランスの自転車レースジャーナリスト、JF・ケネ  
・第1章 選手の感情
闘志、苦しみ、喜び、悲しみ、笑い
・第2章 レースの状況
街、観客、悪天候、事故
・第3章 記憶に残る選手
  32人の選手
・総合成績表 1986〜2015年
・選手名索引 欧文表記
・著者後書き

 著者の砂田弓弦氏は1989年からイタリアのミラノ近郊に取材拠点を構え、自転車ロードレースの本場で取材をしています。ツールの取材は2015年で27年目を迎え、2008年にはツール取材20回の表彰を受けました。主要自転車レースでモト(オートバイ)の後席から撮影を許されている数少ないフォトグラファーです。2016年度はUCI国際自転車競技連合トラックレースの公式撮影を担当しています。
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A4ワイド判(天地297㎜×左右235㎜)・オールカラー・並製カバー装・全188ページ(予定)の大型本、
2016年5月18日(水)発売 定価:本体2,400円+税 
八重洲出版発行 978-4-86144-402-9


アマゾンで予約受け付け中:




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2016.04.13 Wed | Road Races| 0 track backs,
オーストラリア人のパリ~ルーベ 
オリカ・グリーンエッジの豪州人マシュー・ヘイマンの勝利で幕を閉じた今年のパリ~ルーベ。
9年前、オグレイディがオーストラリア人として初めて同大会を獲った時同様、
新鮮な驚きがあった。


ヘイマンといえば、2007年選手名鑑で経歴を調べ、取り上げた記憶がある。
レースの拠点にしているオランダのライセンスを所持していること、
オーストラリア人だがオランダ選手権U-23で優勝したこと、
などを記した。


さてレースは、寒々しい北の地獄のイメージとは一線を画す明るい空のもと、
カンチェッラーラやポポヴィッチ最後の雄姿、ボーネン復活の歓喜を刻みつつ
レースは進行していく。

4人がもつれてなだれ込んだヴェロドロームのフィニッシュは、
最後の最後、ほんの一瞬で決まってしまった。

ウィニングポーズはしたし、優勝の自覚は間違いなくあったはずなのに、
ヘイマンのあのきょとんとした表情。
自覚はあるけど実感がない、そんなところだったのか。


07年、オグレイディが制覇したときの特ダネを読み返してみたところ、
パリ~ルーベ前日に、偶然そのオグレイディの談話を掲載していた。
優勝候補としてではなく、もちろんカンチェッラーラのアシスト、という立場での話。

そう、あの年、2人はCSCに所属していた。
前年06年に、カンチェッラーラはパリ~ルーベ初制覇。
オグレイディは主従でいえば、完全な従の立場。

ところがそれをひっくり返して優勝した。
カンチェッラーラはと言えば、19位に終わった。

2007年の、P-R事前と、制覇後のオグレイディの記事を再掲:

******

パリ~ルーベ前、2007.4.15の特ダネ:

一方で、カンチェッラーラのアシストとして出場予定のオグレイディ。こんなふうに語っている。
「TVはちゃんとレースの様子を映し出していない。いかに難しく、凹凸が激しく、ラフなレースであるか、
あれでは十分に伝え切れていない。実際はものすごい修羅場なんだ。」
当日の天気予報は20度後半。地球温暖化の数少ないメリットだ、と彼はジョークを付け加えた。



*****

優勝後、2007.4.16の特ダネ:

タイトル: 「オグレイディがなにやら最近すごく強くなった」という噂 ・
パリ ~ルーベ(PT) マルチになったオグレイディが優勝 -- スプリントOK、ピストOK、上りOK、、そして ---パヴェOK!
そしてオグレイディの活躍を事前に予知したM編集長



パリ ~ルーベが終わった。

埃舞うベルギーの石畳。
伝統の一戦をスチュアート・オグレイディが制した。
これでCSCはカンチェッラーラに続き、2年連続の快挙だ。

レースは活発に動くものの、視界の悪さも手伝い、誰が誰なのか戦況がつかみにくい中、
ラスト30km地点でゲロルシュタイナーのコップとクイックステップのヴァンンインプを捉えたオグレイディがその後独走。

オグレイディの一人旅は続き、旅の終着点はベロドロームのゴール。
大歓声を受けつつ感動のフィニッシュ。


スプリンターとしてツールでグリーンジャージを争っていたあのオグレイディが石畳で優勝とは。
とはいえ、そんな彼の大化けぶりを、予期していた人がいた。

チクリッシモのM編集長。
「ここ最近特に強い選手を一人挙げるとするとオグレイディだ。
単なるスプリンターからマルチになりつつある。インタビューを取れ」
という指令を受け、去年世界選でそんな彼に話を聞いてきたのだった。


その際、強さの秘密をいくつか挙げてくれた。
詳細は本誌にて。

そんな彼の言葉の中で印象に残ったのは、「thin and strong」「faster and faster」。
痩せて身体は研ぎ澄まされたものの、でも力を落とすことなく、そしてスピードは維持しつつ。

スピードトレーニングの最中 先導した奥さんが骨折してしまったという逸話はあったけど、
奥さんも”(文字通り)骨を折った甲斐があった”、と喜んでいるに違いない。


---------- * Email From インプレさん----------

すごいレースでした・・・感動で言葉もありません。
CSCのチームとしての団結、作戦の妙、そして、オグレディの熱い走り。
すべてが最高のレースでした。
最後の、Fabian、Lars、と円陣になって抱き合う様は、自転車競技としての感動を感じずにはいられませんでした。
パリルーベって本当にいつも感動を呼びますね。

チームとしての強さもさることながら、本当にこのCerveloのR3というバイクは、
この過酷なパヴェに圧倒的なアドヴァンテージを示したと言えるのではないでしょうか。
テクノロジーのすばらしさを見せ付けられた思いです。

--------- おしまい




******

アーカイブ更新記録:
2001年11月初旬を更新: 
・ オンセがエリート軍団化して、若手が離れていく、そんな現象が見られた。
・ ケルメの元監督ピノがフォナック監督に就任し、戦士のチームにする、と公言、他。


http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/
2016.04.12 Tue | Road Races| 0 track backs,
アルベルト・コンタドールの心変わり
 コンタドール、引退取り消しの兆しは2015年10月頃から ~


2015年シーズン初め、コンタドールが次年度、つまり2016年末での引退を表明したとき、
現役生活に未練はまったくなさそう、そんな印象を受けた。

そんな意思に揺らぎが見えたのは、昨年の10月。
インタビューで、顔見知りの記者からこんなことを言われた時だった。

「あの引退宣言は、鬱状態で思わず口にした感じがしたけど・・・」

これに対しコンタドールは、
引退するとは決まっていない、とむっとした様子で答えたらしい。
そしてー

無念な落車で不完全燃焼のままツールを去るとかいうアクシデントが起きれば
その限りではない、
さらに個人的なプロジェクトを果たすために続行も考えている、とも。


このやりとりに端を発して、各社は色めきだち、
コンタドールにその意思を確認する質問が乱れ飛んだ。


そしてそれ以来、毎回彼の答えは一方向に収まるようになる。
つまり、延長の可能性はある、
不運な要因や、個人的にやり遂げたいことのために、と。


鬱とか言われて、つい売り言葉に買い言葉で、引退を否定したのか、
或いは本当に未練が出始めたのか、真意は不明確だったが、
少なくとも去年初めの強い引退への憧憬は消え、
カウントダウンが始まった途端、もう少し持ちこたえられそう、そう思い始めたようではあった。


あの10月のインタビュー以来、続ける可能性に言及する方が増えていいったので、
チクリッシモ選手名鑑には、コンタドール引退を既成事実として書くことを避けた。

2016年年初の時点で、将来白紙とするのが一番正しいように思われた。

***

丁度10年前のツールにて、コンタドール。
プレゼンには出たものの、オペラシオンプエルトの余波でアスタナはツール追放。
幻の出場となった。

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2016.04.10 Sun | Road Races| 0 track backs,
【Raphaプレスリリース】4月29日 大阪の直営店Cycle Club Osakaがリニューアルオープン
4月29日 大阪の直営店Cycle Club Osakaがリニューアルオープン


2012年より大阪市北区にて営業を行ってきたRaphaの直営店Rapha Cycle Club Osakaが、5年目を迎えるにあたり大規模な改修を行い、4月29日(金)にリニューアルオープンいたします。専任バリスタのつくカフェスペースが新たに設置され、これまで以上にサイクリストのミーティングスポットとして機能する空間となります。


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グランドフロアイメージ図
※画像はイメージのため、実際と異なる場合があります。


4ヶ月の期間限定ポップアップストアとして2012年4月にオープンしたRapha Cycle Club Osakaは、関西圏のサイクリストの大きな支持を得て常設店舗として営業を延長。この5年間には関西各地、日本各地、そして世界各地からのサイクリストにお越しいただき、いくつものライドやレースビューイングなどのイベント、情報発信を通じてサイクリングの総合空間としての役割を果たしてまいりました。


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2Fイメージ図
※画像はイメージのため、実際と異なる場合があります。

サイクリストのみなさまの多くの支持と来店をいただくにつれ、期間限定ショップの骨組みを一度解体し、地域のライダーはもちろん、大阪を訪れるライダーたちが集い交流する空間を再構築する必要性を実感。サイクリストの憩いの場となる本格カフェスペースの設置を軸とした改装を行う運びとなりました。またウェアをはじめとしたRaphaの製品販売スペースも、総合的なデザイン意匠を取り入れることで、サイクリストのスタッフによる接客とともにより快適で上質な購入体験を提供いたします。

5年目を迎えるにあたり、大幅にパワーアップする「サイクリングの総合空間」Rapha Cycle Club Osakaにご期待ください。

リニューアルオープンは4月29日(金)AM10:30

改装を施した新Rapha Cycle Club Osakaのオープンは4月29日(金)10時30分。オープンから3日間、29日、30日、31日の間はリニューアルオープン記念として、Raphaの製品をお買い上げの方にはカフェにてALLPRESS ESPRESSOのフィルターコーヒーを無料でサービスするキャンペーンを実施いたします。ぜひ、この機会にCycle Club Osakaへお越しください。


Rapha Cycle Club Osaka

リニューアルオープン日:2016年4月29日(金)10:30-
※4月15日より改装のため閉店

住所:大阪府大阪市北区 曽根崎新地2-6-21
電話:050-1550-3106
営業時間:10:30-20:30(月〜金)
10:30-19:30(土日祝)


ウェブサイト:http://pages.rapha.cc/ja/clubs-ja/osaka
Rapha Japan Facebook:https://www.facebook.com/RaphaJapan/
Rapha Japan Twitter:https://twitter.com/rapha_japan
Rapha Japan Instagram:https://www.instagram.com/rapha_japan/
2016.04.08 Fri | Road Races| 0 track backs,
イマノル・エルビティ(エルビーティ) ”クラシックが好きでガッツポーズは苦手”
◆ 「勝つのに慣れていないから、ガッツポーズができないんだ」


昨日のロンド・ヴァン・フラーンデレン、フランドル一周で、難関攻略に成功し、
サガンやクファイトコウスキーら強豪相手に最後までしぶとく食らいつき、
7位で終えたモビスターのイマノル・エルビティ (エルビーティ)。

以前Diaryの方にも書いた通り、スペイン人にしては珍しくクラシックが大好きなバスク人だ。


2010年、所属していいたケスデパーニュが突如スポンサー契約終了を告げた折りには、
在籍していた他の選手たち同様、他チームへの移籍交渉に駆けまわった。

その結果、エウスカルテルからオファーをとりつけることに成功。
(バスク人ながら、プロ入り後はずっとウンスエ監督のもとで走り、それまでエウスカルテルに加入したことはなかった。)

しかし土壇場にケスデパーニュの後を継ぐスポンサーとしてモビスターが決定し、
エウスカルテルとの契約を白紙撤回して、モビスターに収まった、
そんな経緯がある。


本サイトDiaryの2009年の記事の再掲になるが -

エルビティは2009年ジャパンカップで来日のとき、こんな話をしていた。
「優勝に慣れていないから、あるとき一着だったのに、ちゃんとしたウィニングポーズができなかった」

そんな彼は、実家が農家で、本人も環境を勉強したことがある。
自転車選手になっていなかったら、農業か、環境関係の仕事をしていただろう、と。



当該来日のときは、彼に前から目を付けていたイラストレーターのたきもとかよさんが
Jスポーツの企画のためにあれこれ質問をぶつけたのだった。

通訳として同席したのだが、その際の様子がこちら;

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最後は、たきもとさんのイラストに感激して、
写真を撮影していた。

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バルベルデの再婚式のときに妻とともに姿を現したときには、
奥さんが美人で目を引いた。


Copyright hola.com
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 http://www.hola.com/famosos/2012102261367/alejandro-valverde-boda/


2008、10年にブエルタで区間優勝したことはあるものの、
これまで地味なサポート役を黙々とこなしてきたエルビティ。

温和でお茶目。そして今回の奮闘で日本での認知度も上がったけれど、
むろんスペインでも脚光を浴びた。
歴史的フランドル7位、と。


終わった感想は、「疲れた」!
転戦が続いたので、早く家に帰って妻と息子を抱きしめたい、
そんな風に漏らしていた(esciclismo.com)
2016.04.04 Mon | Road Races| 0 track backs,
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