アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その4
アルベルト・コンタドールのニュースアーカイブその4。
レース中、ひどい発作で安否が気遣われたコンタドールだったが、
経過観察の後、退院することができた。
ところが、本当の恐怖はその2週間後にやってきた。

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2004年6月15日
帰宅後、再び危険な状態に

ブエルタ・ア・アストゥリアスで発作を起こし落車。
病院へ搬送されたコンタドールだったが、
10日間の経過観察入院の後、自宅に戻ることができた。

しかし帰宅後2週間ほど経ったときだった。
自宅で発作が再発した。

海綿状血種で、今度こそ危険な状態にあった。
チームからはマノロ・サイス監督やチームドクターのニコラ・テラドスも駆け付けた。


手術しか道は残されていないことは明らかだったが、
それは同時にリスクも伴う。
術中、僅かな手元のずれでも麻痺が引き起こされる。


家族は手術に難色を示した。
不安でたまらなかったのだ。
アルベルトの弟は脳性麻痺で要介護。
そのため父は仕事を辞めざるを得なかった。
母が市役所に勤め、家計を支えている。

この上、もう一人、要介護の家族が出たら、、、
そう思うと将来が不安でたまらなかった。


しかし命には代えられない、テラドスは手術を容認するよう家族を説得した。

幸運なことに搬送先の病院には、新進気鋭の腕のいい女医がいた。
マリア・アウロラ・マルティネス。
弱冠35歳。

落車直後に、気道確保のためにチューブを挿入したドクター スビサレタと、
そしてこのマルティネス医師こそが、コンタドールの命を救った恩人、
と言われている。

2017.09.04 Mon | Road Races| 0 track backs,
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