アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その5
アルベルト・コンタドールのニュースアーカイブその5。
自宅に戻ってから再び発作を起こしたコンタドール。

手術をしなければ命が危ない、
しかし困難な手術であるため、麻痺などの障害が残る可能性もあった。

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◆ 手術は無事成功
(以下は、2004~2008年にかけてエントリーしたものを総合したもの)

チーム関係者に説得され、両親は手術を承諾した。
こうして2004年6月11日に行われた手術は5時間に及び、
縫合は70針、頭部には2枚のチタンが挿入された。


その間、予断を許さない状態が続き、病院に駆け付けたサイス監督は家族と一緒に泣き、
そして両親を励まし続けた。

サイスはその時のことを振り返って、「自分の家族より、重傷の選手のそばを選んだ」と
語っているる。


執刀医のマリア・アウロラ・マルティネスは、
患者アルベルトのことを当時知らなかった。

無理もない、アルベルトは弱冠21歳。
アレハンドロ・バルベルデ、イバン・マヨ、サムエル・サンチェス
のようにアマチュア時代から名を馳せてきたわけでもない。
アルベルトの地元マドリード(アルベルトの出身は具体的には大きな意味でマドリードに属するピントという街)在住の人たちにとっても、ほとんど無名の存在だった。


偉大なサイクリストの命を救ったのだ、
と彼女が気が付いたのは、それから数年後のことだった。

退院前、彼女はアルベルトにサインをねだった。
しかしそれは、この先大化けすることを予想してのことではなかった。
新たな命を吹き込まれた新生アルベルト誕生の証として、求めたものだった。


こうして無事手術は成功。
レース中の落車が再びアルベルトの生命を脅かすのではないか
そんな危惧もあったが、本人は、その年の秋にはすでに
トレーニングを開始していた。

2017.09.05 Tue | Road Races| 0 track backs,
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