アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その9
コンタドール関連のニュースアーカイブ続き。
病気から立ち直ったランスを崇拝していた、というコメント。

それにしても、憧れの人ランスが、のちになって嫉妬のあまり自分に牙をむくことになろうとは
よもや想像だにしなかったことだろう。

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■ コンタドール、力をくれたのはランス
2005.04.09 (Sat) 

今年TDUで区間優勝し、セトマナ・カタラナ総合優勝した若手のコンタドール(リバティ)。
さらに昨日のバスク一周でも最後のTTで優勝。

去年の5/12、アストゥリアス一周の最中に脳海綿状血管腫を起こして落車。
一時は重態とも言われた。

その彼が、最近スペインの新聞ASでのインタビューで、
「アームストロングの病気からの復帰が僕の大きな力になった」と語った。

その記事の中から、一部抜粋。


― 去年 病気になった時のことを詳しく教えて。

AC:症状は、アルコベンダスのレースで始まったんだ。(注:2日間で3ステージ走るレース。最終日は目玉のアルコベンダスの山岳TTがある。最近では、オラーノ、モンクティエ、ベロキ、マヨが歴代優勝者。)

もっとも数日前からひどい頭痛は感じていた。でも、僕はツールに向けて必死でトレーニング中だったから出場することにした。でも、レース中に力が出なくて、サイス監督に「調子が悪い」と言ってリタイアしたんだ。


― でも、その後、アストゥリアス一周に出たんだね。

AC:その直前にナランコのヒルクライムに出て、調子が上がっていたからね。でも、アストゥリアスの第1ステージで頭痛がまた始まった。そして、40km地点で、それが完全にはじけた感じだった。周囲の同僚の声が聞こえなくなって、そのまま倒れて痙攣が始まった。


― 診断は?

AC:アストゥリアスの病院では、血の塊が見つかった。但し、これが落車によるものなのかどうかが分からなかったんだ。で、とりあえず僕は10日で退院した。


― で、また症状が始まったんだね。

「家に戻って15日目に、また痙攣が始まったんだ。ラモン・イ・カハル病院に運ばれて、検査をしたんだ。そして手術さ。頭頂部を切って、70箇所ホチキス縫合した。チタンのプレートを2箇所に入れたよ。でも回復は順調さ。」


― 自転車に再び乗るのが怖くなかった?

AC:いいや。先生達が大丈夫だ、って言ってくれたから。車に乗るのと同じように自転車に復帰できた。


― でもって、ランスの著書「ラ・ブエルタ・ア・ラ・ビダ=生への帰還(「It’s not about the bike」のスペイン語タイトル、日本語タイトルは、「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」)が支えてくれたんだって?

AC:本は、病気の前に読んではいたんだ。でもその時は、本の中に登場するツールのことにばかり関心が行っていた。でも病気の後に病院で再度読んでみて、彼の回復への意欲に吸い寄せられた。そして、彼の前例に力をもらったんだ。


― ランスとは言葉をかわした?

AC:パリ~ニースで見かけたけど、彼はかなりナーバスだったから話す機会はなかったんだ。でも、彼とは話してみたい。だって僕のアイドルだから。


― その他支えになったのは?

AC:家族と友人は、いつも勇気づけてくれた。そしてチーム。普通プロのチームといったら、契約金額だけでの繋がりが常なのに、こうしたハートのあるスタッフたちにめぐり合えたことは、信じられないぐらいだ。


― 病気が教えてくれたことは?

AC:自分自身成長したと思う。全てのことがらの価値が、今までに比べて増したと思う。入院中、例えば単に公園を散歩することができるだけのことでもすごく大きなことだった。これからは人生100%めいっぱい生きていきたい。


(以下写真は上記インタビューとは別。昨年コンタドールが回復した時の雑誌Ciclismo A Fondoの記事。)

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2017.09.09 Sat | Road Races| 0 track backs,
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