アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その11
2004年5月の海綿状血種発覚以来、
リアルタイムでその様子を追ってきたアルベルト・コンタドールに会えたのは、
発作から1年後の2005年5月のことだった。

22歳のアルベルト。

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山岳では1勝し、溌剌と輝いていた。

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とはいえまだ未熟な面も見受けられ、最後の20.4km ITTでは、
心臓の音がバクバクこちらまで聞こえてきそうなぐらい緊張していた。
(聞こえたように実際感じた)。

それもそのはず、最終日スタート時点で総合4位につけていた。
わずか6秒差で3位のメンショフや19秒差で首位のダミアーノ・クネゴより抜きん出れば
逆転で表彰台、という場面。
(さすがに総合2位にいたサンチャゴ・ボテロを逆転するのは難しいと思われたけど。)

ところがメンショフよりはわずか2秒上回ったのみ。
クネゴよりは30秒近く遅かった。
結局総合4位にとどまった。

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そんなロマンディ一周のレポートのうち、
以下、コンタドールが優勝した山岳ステージのレポートから。


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病気発覚の1年あとにツール・ド・ロマンディ でコンタドールに会う

2005年4月30日:第4ステージ シャテルサンドニ~レパコ  レポート
クネゴは本気で勝ちに行っていた


1000m級の山頂レパコは仮スタート地であり、ゴール地点。さらにその後2度ここを通るので、迷わず山頂に行き、自転車に乗って観戦にきた日本人の人にお会いした。
北米のツール・ド・ジョージアを見たあとこちらにきたという。レース三昧の日々。


レースは最後まで誰が勝つかわからなかった。ラスト数キロでピエーポリかと思った。
ぐんぐん差を広げると思いきや、捕まった。
ラスト1km、脳の血栓の病気からよみがえったアルベルト・コンタドールが鳥のように羽ばたいた。

大型スクリーンが目の前に見えるゴール地点にいたので上りのスタート箇所の選手らの様子も見ることができたのだが、アルベルトの軽やかな身のこなし、加速力は驚きだった。
そして若々しくはつらつとしたポーズでゴール。


この日はたまたまスタート前にコンタドールを見かけたので話し掛けた(上の写真)。
去年の病気のこと、両親がチームに感謝した手紙を雑誌に掲載したことなど。
終始笑顔が印象的だった。その5時間弱後に優勝した。

総合の方では、クネゴがなんとかボテロとの2秒差をひっくり返して総合首位に。


レース後、ゴールそばのカフェのテラスの椅子に崩れるように座ったクーネゴ。
相撲の取り組みが終わった直後のお相撲さんのように、ものすごい勢いでゼーゼーいっている。もう目一杯という感じ。

スタッフがいろいろとケアする中、何か言おうとするが言葉にならない。タオルに顔をうずめて、「きつかった、、、」といった感じでスタッフに身振りで伝える。
いかに彼が必死でリーダージャージを狙いにいったかがよくわかった。

クネゴはジャパンカップでは優勝できずに批判もあったようだが、ロマンディでは、エースとしての意地を十分見せた。昨日は山岳ステージで優勝したが、その分、今日はハンデがあったのか。ゴール後、完全にコンタドールよりも疲労度が大きかった。


しかし、明日の最終日はTT。クーネゴがリーダージャージをとったものの、総合優勝は、まだボテロに勝機がある。
TTで、再度ボテロが逆転する可能性が高い。

(注:そして最終日はやはりボテロが制し、総合優勝。)


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2017.09.11 Mon | Road Races| 0 track backs,
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