アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その14
ニュースの時系列が前後するけれど、
コンタドールがツールで初優勝を挙げたのは2007年。


その1年前の2006年、私は雑誌記事の中でコンタドールをツールの新人賞候補の筆頭に掲げた。
それまでグランツールは1度しか走ったことがなく、2005年ツールでは31位。
でも、急速に力をつけているのは明らかで、目を付けていたのだ。


コンタドールは2006年ツールのメンバーにめでたく選ばれた。
お手並み拝見といったところだったが、予期せぬ出来事が起きる。

コンタドールが属するヴュルト(リバティセグロスがスポンサーから撤退)は
ツールのチームプレゼンには出たものの、グランデパール前夜にチームごとツールから締め出されれ、
コンタドールの出場は幻となったのだ。(注1)

チームの監督マノロ・サイスが、2006年5月に勃発したドーピングスキャンダル、オペラシオン・プエルトの首謀者とされたためだ。


ということで、私の新人賞予想は大外れ。
これに凝りて、翌2007年のツール予想にコンタドールは入れなかった。


ところがふたを開ければコンタドールは総合新人賞を獲得。
のみならず総合優勝まで手に入れてしまった。

予想が1年早かった、自分・・・とハズレを大いに嘆いたのを覚えている。


下の写真は、2006年、ツールからチームが締め出しを食らう直前の
チームプレゼンのときのアルベルト・コンタドール。

ちなみにジャージのメインロゴはアスタナ。
リバティセグロスがオペラシオン・プエルトに怒ってスポンサーを降りたため、
政界財界にパイプを持つヴィノクロフ選手がアスタナの地場産業界を担ぎ出し
急きょ資金援助をとりつけたのだった。


(注1)つまり、上記と先日のニュースを総合すると、アルベルトは2回、ツール出場を主催者から阻まれている。
2006年はリバティセグロスの後を急きょ継いだアスタナ・ヴュルトが5月に勃発したオペラシオン・プエルトのせいでツール前日に追い出され、
2008年は前年のヴィノクロフのツール陽性反応の余波で彼が所属していたアスタナチームはツールに選出されなかった。


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2017.09.13 Wed | Road Races| 0 track backs,
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