ジルベール
ツール・デ・フランドルでフィリップ・ジルベールがエスケープ。

こんなつぶやきが海外から聞こえてきた:

BMC時代より相当サラリー・ダウンしてクイックステップに移籍したので
優勝ごとのボーナスを当てにするしかないジルベール、と。

2017.04.02 Sun | Road Races| 0 track backs,
BHサポートライダー・孫崎大樹選手がU23ネイションズカップ初戦「Gent-Wevelgem」に挑む
ブエルタ・ア・エスーパーニャの栄えある第1、2回大会で優勝を飾ったスペインのバイク・メーカーBH。
その日本支社BH BIKES JAPANからのお知らせです:

***

BHサポートライダーの孫崎大樹選手(早稲田大学)が、日本代表 としてU23ネイションズカップ初戦のGent-Wevelge m(ベルギー)に本日3月26日出場します。


世界中から集まった同世代の若手選手がしのぎを削るプロへの登竜 門。ここで力を見せつけなければ将来への道が絶たれてしまいます 。


日本代表チームの一員として一致団結し、1ポイントでも多くのU CIポイントをみんなで勝ち取って欲しいと思います。頑張れ!孫 崎!!頑張れ!日本代表チーム!!


孫崎選手のレース前コメント
「昨年も出させていただいた大会。その経験をフルに活かし、頑張 りたいと思います!」
2017.03.26 Sun | Road Races| 0 track backs,
ロードレースニュース アーカイブ 更新情報
2002年3月22日までのロードレースニュースを更新。

・当時、パリ~ニースがツールのワイルドカードの選定基準のひとつだった;
・レース前に警察が早朝から選手のホテルに乗り込み手入れをしていた事態が頻発していた;
など、時代を映したニュースがあった。一番驚いたのは
フレイレの腰の故障の治し方。
様々な治療法を試して行きついた先が、、、単なるストレッチだったとは・・
化学療法とか治療法とか、なんともプリミティブな段階にあったようだ。

アーカイブページ:
2017.03.18 Sat | Road Races| 0 track backs,
ロードレースニュース・アーカイブ更新情報
ニュースアーカイブを更新。
2002年は、エースとアシストの諍いが大きくクローズアップされた年だった。


アシストしたのに次季チームを世話してくれず浪人になったと
憤懣を記者にぶつけたスペイン人の話など。

最近はもっとスマートになったなぁと実感する。

ランスのケースは、ツールメンバー選出権をランス自身が握っていたために
起こった批判。今ではそこまでチームの実験を掌握する選手がいなくなったので、
こうしたいざこざは聞かなくなった。

スペインのケースは、チームの移籍をエースに頼っていた時代ならではの話かもしれない。
もちろんエースと一緒にくっついて移籍、というのは今でもあるけれど、
当時はチーム探しを担う代理人制度が浸透していなかった。


2002年3月18日までニュースをアップ

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/

2017.03.14 Tue | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話7: ペテル・サガン

 サガンが五輪MTB出場を決めたため、MTBで五輪を目指した選手はどうなった? -- あまりに過酷な運命が待っていた。


UCIポイントも十分で五輪当確と言われつつ、ポイント数の低いサガンが突如MTBで五輪出場を決め、夢破れたMTBの選手。そんな彼に代替案としてサガンから提示されたのは、「ロードの枠を君に譲る」。果たしてその選手は五輪に出たのか?・・・を追ってみた。

  

ツールを生観戦して、印象に残ったのはアシスト選手たちの姿。みな一様に誇らしげ。ツールに出た選手はみな、ヒーローなんだ、そう実感した。  

たぶんその延長戦で、日の当たらない選手のことが気になる性分になったみたいだ。


サガンが2016年になってMTBへの出場を表明し、五輪MTB候補最有力と言われたものの

出場を逃した選手のことを調べたくなった。本人は納得しているのだろうか?


調べてみると、単に選出からはずれただけではなく、その後二転三転の運命にもてあそばれたのだった。 


もともとサガンがロードからMTBで五輪出場を目指すようになったのは、2016年、
ロードコース試走の後だった。

スロヴァキアの枠は1のみで、当初は他国が使わなかった枠を頂いて出場するつもりだった。

しかしそれが不可能と知り、虎の子の1枠を、彼が得ることになる。

 

五輪当確と言われていた選手にとっては寝耳に水。五輪を夢に頑張ってきた、、とコメント。

しかしその埋め合わせとして、ロードの1枠を彼に譲るという話がもちあがった。

当該選手は当惑しつつも そのためのトレーニングを開始した。

「やはり五輪は夢。出られるのなら」と。

 

ところが五輪の1ヶ月前、委員会は別の結論を出す。

ロードで実績がある選手(当初補欠とされていた)を本メンバーに決定したのだ。

 

夢破れた選手はどうしたか?7~8月はロードレースに出場し続けた。

でもその後しばらくの間レースには出なくなった。MTBも、ロードも。

  

稀に見る実力者、本国では英雄のサガン。

その彼がMTBに出場するなら誰もが納得、そんな空気も感じられる。

失意の選手ですら、サガンが相手なら仕方ない、と思ったかもしれない。

とはいえ今年
29歳。

次の五輪に向けて新たなモチベーションを得られるだろうか?

2017.03.11 Sat | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話6: アレクサンドル・フォリフォロフ(ガスプロム)
初めてのジロで勝利したラッキーボーイ、アレクサンドル・フォリフォロフ。

優勝した時のエピソードはあんな感じだったけれど、
それだけでなく、とにかく不慣れなグランツールで
戸惑いも多かったという。

特にイタリアの地形には不慣れなものだから、
「自分がいま国内のどの辺を走っているのか見当もつかなかった」、
といった証言も。

でも最後は、
「まあ、チームバスが自動的に目的地まで連れて行ってくれたから
問題ないけど」と(!)
2017.03.09 Thu | Road Races| 0 track backs,
ブラッドリー・ウィギンスとチームスカイの薬物疑惑 進展状況
◆ チーム関係者はウィギンスのドクターの不正に気が付いていた


薬物疑惑に揺れるウィギンス、およびチームスカイ。
年をまたいでも、いまだ解消する気配はない。

キーマンとなるのはウィギンスのドクター、フリーマン医師。

ウィギンスのTUE(病気治療のために、禁止量を上回る薬物摂取が許可される特別措置制度)申請を
担当していた人物だ。

現在体調不良でヒアリングを欠席しているため、疑惑は疑惑のまま残っている。


しかしサンデータイムズの記事によると、
スカイのドクター、ファレル氏は2013年にTUE申請用システムのパスワを変更し、
フリーマンがTUE申請システムにアクセスできないようにしていたことが明らかになった。

これ以上彼がウィギンスのTUE申請をできなくなるようにするための措置だ。

2013年といえば、ウィギンスがツールを制覇した翌年。
そして彼は2015年春までスカイに在籍した。


スカイ内で、フリーマンの不正が発覚していたということは、
ウィギンスのTUE申請が不当だったことをチームが自覚していたことになる。


また、今係争中のスカイが扱っていた疑惑の”薬物パッケージ”については
相変わらず内容がわからぬまま。

スカイのボス、ブレイスフォードは、薬物の証明書が保存されていない事実が
即刻禁止薬物を扱っていたという不正とされるのは心外である、とコメント。


選手らはブレイスフォードへの支持を表明中。
一方で元選手でかつてスカイの助監督だったデ・ヨンフは、
ブレイスフォードの引責辞任を口にしている。

デ・ヨンフは、かつて過去のドーピング歴を告白したため、
スカイの任を解かれた。
いわゆるチームのゼロ・トレランス方針による。
(違反は一切許さないという完璧主義。)

そんなデ・ヨンフにとって、ブレイスフォードが辞任しないのは
納得いかない、そんなところだろう。

2017.03.08 Wed | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話5: イェンス・クークレールとニール・スティーヴンス助監督のシンクロ
2016年ブエルタで区間勝利を挙げたイェンス・クークレール。

フィニッシュラインを越えた後、

チクリッシモの選手名鑑・寸評でこのことを書くと同時に、
助監督のニール・スティーヴンスの事にも触れた。


あれはまだ助監督が現役だった頃。
1997年ツールでエスケープを決めて優勝し、
生まれたての我が子に捧げるべく、抱っこのポーズを繰り出した。


変わり種のウィニングポーズとして強烈に記憶に残っており、
この師弟の思いがけないシンクロを、
クークレールの寸評の中に盛り込むことを決めた。


執筆に当たっては、念のために自宅のJSportsビデオで確認した。

クークレールは集団スプリントでの優勝だったのでポーズが出たのは
ラインを踏んでからになったけど、

スティーヴンスの場合はエスケープで後続に差をつけていたので、
フィニッシュラインを割る前にこの赤ちゃん抱っこポーズを発動していた。


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恐らく私がツールを見始めて、初めて目にした
変形ウィニングポーズだったかと思う。


この翌年、1998年を最後に彼は引退。
1999年には関係者としてツールに来ていた。

随分荒っぽい運転で歩行者に目もくれず突っ走り、
轢かれそうになった恐怖体験あり。

IMG_8943.jpg 


ちなみに彼の兄はオーストラリアチームの監督として来日歴のある
ブライアン・スティーヴンス。
TOJ2008年のブライアン監督。


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2017.03.07 Tue | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話4: ベン・ヘルマンス
去年末、BMCのベン・ヘルマンスは幹部から、
「才能のわりに勝利数が少ない」と指摘されたそうだ。
つまり幹部は彼のことを買っていた。

そこで出された指示が名鑑に書いた通り。
そのためには3か月間不調が続いてもOK、と。
でもそれは勇気のいることだった。
安定感が自分の売り、そう思っていたから。

寸評の方には、そんな難しい指令を受けた様子だけを書くつもりだった。

まさかその指示がズバリ的中し、
早々に結果が出せるとは・・・

2017.03.06 Mon | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話3: ミケル・ランダ
◆ ポディウムガール廃止大賛成。「女性は事物ではない」

2017年ツアー・ダウンアンダーでポディウムガールが廃止になり、
ランダが発したコメントが印象的だった。

「大賛成だ。
表彰台上の女性の存在には反対だった。
まるで事物(Objeto)のような扱いではないか。
廃止してこそ健全になる」


さらに、故障に悩んだ1年を振り返り、
「レースに出ていない時こそ学ぶことがある」
といったなるほどのコメントも。


これらは紙面の都合上、名鑑の方には載せなかったけれど、
かねてから男気ある発言が多く、
今年も注目している、ミケル・ランダ。


2017.03.05 Sun | Road Races| 0 track backs,
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