チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話2: セップ・ヴァンマルケ
キャノンデールに移籍したタフガイ ヴァンマルケ。

去年娘が生まれ、モチベーションもかなりアップしているようなので
紹介文では娘のことにも触れた。

つい先日は、
「トレーニングにラブリーな妻と娘が来てくれた、
最高のサポートだ」、
などとツイートしたりしている。

ラブリーな妻・・・
そんなふうにメロメロになるのも無理はない。

くだんの奥さん、産後直後に撮られたと思われる写真の中でも
疲れも見せず少女のような微笑みを浮かべている。


2017.03.04 Sat | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモ 選手名鑑こぼれ話1: フレッヒ・ヴァンアーヴェルマート(GVA)
GVAの紹介のところにサッカー少年時代の話を書きました。

もとはといえば、
彼がサッカーを断念したキッカケをつくった
ライバル(ゴールキーパー)は今どうしているのかな
という疑問が発端。

まずは名前を探し当て、次にその選手が今どうしているかをチェック。
結果:

キーパーの名前は: ダビノ・ベルフルスト

名前で検索をかけたところベルギー1部リーグのロケレンに所属していました。

やはりGVAのライバルは、かなりの実力派だったようです。


チクリッシモNo.53は、2017年3月3日(本日)発売。


2017.03.03 Fri | Road Races| 0 track backs,
ニュースアーカイブ更新状況 フレイレ、ランス
2003/3/8-9のニュースをアップ:
◆ オスカル・フレイレ 3月に入ってもまだチーム契約していなかった
  (あの頃はダウンアンダーや中東のレースもなく、
   シーズンスタートが遅かったんだなぁとつくづく)

◆ ランスのアシストたちが、ヴァスールのランス批判を一斉に非難

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/

2017.03.03 Fri | Road Races| 0 track backs,
RGJ、設立9年目おめでとうございます!
早いもので「Ready Go JAPAN」は今年で設立9年目だそうです。

そして今年は「ロードレースからシクロクロスに
チーム活動の中心をシフトチェンジします!」とのこと。

新たなチャレンジ頑張ってください! 
以下、プレスリリースより。
(原文のとおりなので敬称略)

++++++

NPO 法人サイクリスト国際交流協会が活動支援する
女子自転車レースチーム「Ready Go JAPAN」が
「Ready Go JAPAN 女子シクロクロスチーム」として活動を転換
3 月にチーム加入試験・トライアウトを実施!

 「Ready Go JAPAN 女子自転車レースチーム」は、2009 年に日本国内に女子ロードレースチームが皆無
な状況を受けて、女子選手だけを集めたロードレース中心チームとして NPO 法人サイクリスト国際交流
協会(本部:千葉県成田市/会長:須藤むつみ)が運営する「Ready Go JAPAN プロジェクト」として誕生。
Ready Go JAPAN は女子自転車レースチームのパイオニアです。
 そして 2017 年、「Ready Go JAPAN」は大きく舵を取り、地元の千葉県・成田市から世界を目指します。

シクロクロスで新たな飛躍を!
Ready Go JAPAN はこれまでもチーム内にシクロクロス班を設置してシクロクロスに注力。シクロクロ
スは、ロードレースのオフシーズンのトレーニングとして欧州で始まった競技です。
砂地、泥地、急坂を走破、あるときは自転車を担いで障害物を乗り越え闘うレースで、その大らかさ
や総合格闘技的な面白さなどからアメリカやオセアニア、アジアでも人気が高く、ここ数年とくに日本
でも多くのファンや競技者の注目を集めています。

シクロクロス練習で得られるスキルやノウハウはロードなど他種目への競技力向上につながる自転車
を安全に走らせる基礎となり、自転車文化発展への貢献を掲げる当チームの存立主旨にも合致。チーム
設立から今年で 9 年となり今後の進むべき道を議論する中で、このシクロクロスの持つ可能性に着目し、
Ready Go JAPAN は新たな挑戦、飛躍を目指します。 

Photo copyright: Okamoto
koji-okamoto_2016nobeyama001.jpg 


チームは新体制へ、加入テスト「トライアウト」も 3 月に実施
 2000 年・全日本シクロクロス選手権チャンピオンの須藤むつみがチーム監督に就任し選手の育成にあ
たるとともに、自らも引き続き現役レーサーとして勝利を目指します。またプロ化など長期的な課題、
商業レース開催による地域振興など、新たな取り組みにも挑戦します。
3 月に実施する「RGJ トライアウト」も、今回はシクロクロス競技の適性により選考を行います。 

女性レーサーの活躍を支援
引き続き「強く、速く、格好いい」活躍する女性レーサー育成を中核に据え、自転車スポーツの発展
に寄与する所存です。技能向上だけでなく、コントロールしやすいブレーキやハンドルなどのデバイス
やパーツ、フェイスガードなど安全のためのウエアなど、女性ならではの視点による新商品開発の可能
性も含め業界への貢献も見据えて参ります。


<NPO 法人サイクリスト国際交流協会会長・須藤むつみよりコメント>
日本国内、特に関東地方でのシクロクロスの盛り上がりに平行して、男子選手だけでなく女子選手の
参加も増加。現状は他種目で活躍する選手も「シクロクロスにチャレンジしたい!」と希望し、私たち
の企画するシクロクロス練習に参加するようになりました。「女子選手を専門に支援できるチーム」がな
いのです。じつに、私たちが9年前にロードレースチームとして「Ready Go JAPAN」を設立した時と同
じような状況が、現在のシクロクロス界で起こっていたのです。

何よりも私たちには昨年まで8年間、女子だけのチームを運営してきたノウハウがあります。既に
2016-2017 シーズンにおいては試験的に「Ready Go JAPAN チーム・シクロクロス班」として、須藤むつ
み、伊藤千紘、吉岡梨沙、高橋吹歌の4選手が活動。
・坂口 聖香:2015・2016 年全日本シクロクロス選手権優勝
・武田 和佳:2016 年全日本シクロクロス選手権・2 位
・福本 千佳:2012 年世界選手権シクロクロス女子ジュニア日本代表

元々、チーム代表の須藤むつみとチーム監督の須藤大輔が、関東地方のシクロクロスの空白期間を埋
めるために、埼玉県秩父市において通称「ちちフェス」として 13 年間にわたりシクロクロスレースを企
画・開催していた経緯もあります。シクロクロスの黎明期からレース活動を行っているチームスタッフ
もいます。そう、Ready Go JAPAN の変化は時代の要請であり、我々はそれができるチームなのです!


<2017 年からの Ready Go JAPAN チーム活動体制>
・チーム名
2017 年より「Ready Go JAPAN 女子シクロクロスチーム」とする。
(英表記:Ready Go JAPAN Women Cyclocross Team)
※チーム運営は昨年までのとおり、NPO 法人サイクリスト国際交流協会がチーム事務局を運営する。
*トライアウトの募集・実施要項は以下の資料をご参考ください。

・Ready Go JAPAN チーム公式ホームページ http://www.jbrain.or.jp/rgj/
・Ready Go JAPAN チーム速報ブログ http://readygojapan.cocolog-nifty.com/blog/
・Facebook の Ready Go JAPAN チーム公式ページ http://www.facebook.com/readygojapan
==============================================


<資料:2017RGJ チームトライアウト(選考会)について>
- 募 集 要 項 -
募集内容:今年・秋(9 月)より国内外の自転車競技「シクロクロス」に参戦する
「Ready Go JAPAN 女子シクロクロスチーム」選手の選考
募集人数:若干名
応募資格:①体力に自身のある心身ともに健康な、関東在住・在勤の 1997 年生まれ以前の女性
※目安として 20 歳以上の方(年齢の上限は設けません)
②自転車走行の経験があり、自身のレース用自転車を所持していること。
※受験の際に使用する自転車はシクロクロスレース出走に耐えられるものをご用意ください。
(車種や装備など、ご不明な点がございましたらお気軽にお問合せください)

なお所属条件については以下の 2 つを選べます。

<通年契約の条件>※1 月 1 日から 12 月 31 日まで 1 年契約の選手
・シクロクロスメインのチーム員として募集(ロード他の出場でも RGJ)
・JCX シリーズ 8 レース以上、AJOCC レース 4 レース以上、および UCI レース参戦が条件
・L2 からスタートする場合は、2017-2018 シーズン終了までに L1 に昇格すること

<CX のみ契約の条件>※9 月 1 日から 3 月 31 日まで 7 か月契約の選手
・シクロクロスのみのチーム員として募集(カテゴリーL1 選手のみ募集)
・ロードなど契約期間以外での出場の場合は、他チームの所属を認める
・JCX シリーズ 8 レース以上、AJOCC レース 4 レース以上、および UCI レース参戦が条件

<受験当日の用意などについて>
シクロクロス走行のできる自転車及びヘルメット等のレース参加時同等の用意をお願いします。

応募方法:応募用紙を事務局から取り寄せ、必要事項を記入して事務局に郵送ください。
応募締切:2017年 3 月 20 日(月)までに事務局到着
受験費用:500 円(トライアウト当日にお支払ください)
問合せ先:Ready Go JAPAN チーム事務局(トライアウト担当:須藤)
E メール m-sudou☆jbrain.or.jp(☆を@にしてメールをお送りください)

- トライアウト実施要項 -
実施日時:2017 年 3 月 25 日(土)
実施場所:茨城県取手市近郊(受験申込をした選手には詳細な場所や集合時間を追って連絡します)
実施種目:シクロクロス模擬レース、およびスキルテスト 


2017.03.02 Thu | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモNo.53は、3月3日発売
チクリッシモNo.53の発売日が迫ってきました。

Season Previewの特集のほか、
恒例の選手名鑑も入っています。
しかも、紹介文付きの選手数が例年より拡大。

2017年3月3日発売です。


2017.03.01 Wed | Road Races| 0 track backs,
アーカイブ情報
2002年3月7日の特ダネは、
ランスに対する愚痴をわんさか言ってUSPを出て行ったヴァスールの話。
この話は印象に残ってる。
2017.02.28 Tue | Road Races| 0 track backs,
あの人はいま?
1つ前の記事に書いた2000年ジャパンカップで来日したクリストフ・ドゥティルー
2007年を最後に引退。
直後にベルギーでカフェレストランをオープンした、、、
と思ったら、今ではAGOアクアというチームの監督になっていた。


例のレストランはどうなったのか?
どうやらまだ存在している。
しかし、オーナーが変わっていた。

引退直後のドゥティルー。
カフェのオープニングにて。

P1300941.jpg 


気持ちのいい内装だった。

P1300943.jpg

外観。

 P1300940.jpg 


場所はベルギーのヴィゼ。
フランス語圏にある。

2017.02.26 Sun | Road Races| 0 track backs,
ロードレースニュースアーカイブ更新情報 
以下に、2002年3月6日までのニュースアーカイブをインプット:



以下のうち、3/5のある選手(元ロットのC・ドゥティルー)の証言というのは、日本にも来日したことのある
ロットの選手のファンとのチャット内容で、目についたのは -

・ 当時選手とじかにコミュニケートできるチャンスなど滅多なく、珍しかったのを覚えている。
・ 宿でパソコンをやる選手が結構いる、というくだりに時代を感じる。スマホはないし。
  特に、マキュウェンがパソコン漬け、みたいな証言、なるほどSNSとの親和性も頷ける。

内容は:

2017.02.26 Sun | Road Races| 0 track backs,
チクリッシモNo.53 リニューアル記念プレゼントキャンペーン
リニューアル第一弾、
2017年第一弾のチクリッシモNo.53は、3月3日発売。

新生チクリッシモのロゴ入りトートバッグ プレゼントのお知らせはこちら:

cover_cicli_01 (2) 


    
2017.02.23 Thu | Road Races| 0 track backs,
今週来日講演開催:アルバロ・ピノのニュース
スペイン文化センターの招待で今週 来日&後援が決定した
元選手でケルメ監督のアルバロ・ピノ。

ピノのニュースが丁度出てきたのでこちらに掲載。
ケルメ解散後、フォナックの監督になったときのニュースだ。

=====

3.4.2002  の特ダネアーカイブ>>

チーム フォナック: アルバロ ピノ監督に初勝利をプレゼント

元ケルメの監督として名高いアルバロ・ピノ氏がフォナックの監督に就任してから初めての優勝をゲットした。クラシック・アルメリアの174キロのレースで、チームのイタリア人選手マッシモ・ストラッツァーがスプリント優勝したのだ。

この日は気温が低く、選手らは早くレースを終えたがっていたせいか(?)、終わってみれば、平均時速44.501km/hという速いレースだった。フォナックは、まずポストスイスから移籍してきたエルミゲル(昨年のジャパンカップでスイスチャンピオンジャージを着て、途中までトップを走っていたあの選手)がスプリントを開始し、それに続いて、ストラッツァーが飛び出し、最後はマルク・ツベルグ(RAB)をかわして優勝した。

ピノ監督いわく、「新チームで一番難しいのは、初勝利をあげること」。この価値ある一勝で、ほっと肩の荷をおろした様子。また、「選手たちが喜ぶ顔を見て、これでチームに勢いがついたことを実感した」と語った。
2017.02.21 Tue | Road Races| 0 track backs,
2002年アーカイブから: ヴァンデンブルック逮捕と例の名言
2002年3月3日までのロードレース・ニュースアーカイブを以下にて更新。

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/


2003年ツール100年記念大会の話と、
VDBこと、フランク・ヴァンデンブルック逮捕の記事。
例の「EPOは犬用」という名言が生まれた場面。

失念していたのだけど、この逮捕の報道は、日本でも
BSの世界のニュースで取り上げられ、
連行されるVDBも登場。

今思えばVDB、ドタキャンや失踪などを含め
ものすごいヒール役だった。
彼に匹敵する選手は、その後記憶にない。

今のプロトンはすっかり大人しくなった。
2017.02.20 Mon | Road Races| 0 track backs,
セルジュ・バゲ47歳で逝く
元ロットのセルジュ・バゲが大腸がんで2年間闘病の末亡くなった。
47歳だった。

葬儀の模様を伝えるサイトには、ムセウやヴァンペテヘムなど
懐かしい顔ぶれの写真。

バゲはドメスティックだったし、2007年を最後に引退した後は
表舞台で見かけることもなく、過去のニュースで話題にした記憶もなかった。

けれど、写真はあり、(2001年ツールの時のもの)
さらに、ブログの記事にも少しだけ登場していた。

P7155389.jpg

最後のエントリーは、引退を決める2007年の3月の記事。
プロトンの年長者をまとめたものだった:

07年3月26日現在
選手 チーム 年齢/歳 年齢/歳
L ブロシャール BTL フランス
1968.3.26
39
C・マンジャン FDJ フランス
1968.9.3
38
A・ノエ LIQ イタリア
1969.1.15
38
S・ザニーニ LOT イタリア
1969.1.23
38
L・ミカエルセン CSC デンマーク
1969.3.13
38
I・クエスタ CSC スペイン
1969.6.3
37
S・バゲ QSI ベルギー
1969.8.18
37
E・ポイトシュケ MRM ドイツ
1969.8.25
37 


それから2005年には、アクセル・メルクスが「ボク、ベテランになっちゃったな、
先輩のバゲがいない場だと、自分が一番年長だ」、みたいな言葉を発して
それを紹介したもの。
2005.04.22 (Fri) の記事で、私は丁度LBLを見にベルギーに行っていて、
現地のLe Soirという新聞から引用したものだった。

「先日バスク一周ではチームメートのベテラン、バゲが出場してなかった
だから、ふと気がついたら、食卓を囲むメンバーの中で僕(アクセル)が一番年寄りだった。」

下の写真も2001年のツール。

P7180586.jpg


写真は記事を掘り起こしながら、
心の奥深くにしまいこまれていた記憶がだんだん蘇ってきた。

当時は今より選手が一定のチームに固定していたので、
(選手もチームも今ほど国際化していなかったので、
母国チームに固執する選手が多かった)
バゲというと、このロットのジャージが浮かぶ。

調べたら、18年のプロ生活で17年間ロットにいたようだった。

亡くなって初めて知ったこの事実。
長年ロットに貢献した選手だったのね。

ご冥福をお祈りします。


2017.02.17 Fri | Road Races| 0 track backs,
2002年2月のニュースアーカイブをインプット終了
2002/2/28のニュースは、
薬物問題で金メダル剥奪になったドイツのスキープレーヤーが
ロードレースのチーム”オンセ”のドクターから
カウンセリングを受けていた、というニュースの続報。

なにやらきな臭い話が、あの頃はぷんぷん漂っていたんだなぁと改めて実感。

とともに、ドイツ2紙、スペイン2紙のサイトを読んで、
本ニュースの取り上げ方を比較していた自分のマメさに驚く。

今と違ってツイッターやFBもなく、ニュースが余り身近でなく、
情報に飢えていたんだなぁ、とも思ったり。

情報過多の時代に突入し、何をしなくても漏れ聞こえてくる
この現状に、すっかり慣れ、なんだかのんきになってしまった気がする。


1999年末~2002年2月までのロードレースアーカイブを以下URLにてインプット完了:
2017.02.05 Sun | Road Races| 0 track backs,
FDアダプター発売情報 & ニュースアーカイブ更新情報
【新製品情報】WISHBONEから楕円チェーンリングに対応したFDアダプターが新発売

この度、株式会社コリドーレ(本社:京都府木津川市、代表取締役:中田真琴)が日本総輸入代理店として展開する高性能サイクルパーツメーカー「WISHBONE(ウィッシュボーン)」から流行の楕円チェーンリングに対応し たFDアダプターが発売いたしました。

楕円チェーンリングは、サイクリストの中でも装着率が年々増えておりますが、同時にフロント変速性能の低下 に悩みを抱えている愛用者が多いのも事実。そんな悩ましき問題に 対して、アイデアあふれる高性能商品を展開するWISHBONE からの提案です。

本製品はFD台座と本体の間に7mmのアルミ製スペーサーを装着 することにより、フロント変速のポイントを最適化。いたってシン プルな製品ではありますが、それだけで驚くほど楕円チェーンリン グ使用時でのフロント変速性能がアップします。

定価:¥3、000円(税別)

発売時期:発売中

securedownload.jpg 

===============

ニュースアーカイブ更新情報:
2002年02月26日分:
オンセのドクターが、ドーピングで金メダルをはく奪されたソルトレークオリンピック金メダリストのドクターだったという話
2017.02.03 Fri | Road Races| 0 track backs,
リーナス・ゲルデマン引退&マヨルカ島にレストラン
CSCやテレコム時代、契約期間などは気にもせず、
こっちからあっちへ、とチームを渡り歩き、
社会の枠にとらわれず、
わりと気ままにやってきた感じがぷんぷんしていた
リーナス・ゲルデマンが引退するという。

ツイッターで見かけた記事によると、マヨルカ島にレストランを開くのだとか。
で、一緒に写真に写っていた女性を見て、あれ
前の彼女と全然違うタイプ、と思うと同時に、
その彼女がかなりのやり手だと知る。

レストラン経営などを手広くやっていて、
ゲルデマンが飲食業に乗り出すというより
彼女が築いたものに乗っかっていく感じなのだろうか。

スペイン人女性かと思ったけど、ドイツ人だった。

http://mallorcamagazin.com/nachrichten/gesellschaft/2016/12/21/51642/der-neuanfang-eines-radprofis-auf-mallorca.html 
410.jpg


前の彼女:
RG.jpg


マヨルカ島に行く予定もないので、
場所などは調べていないけど、
店のマスターとして、人気を集めそう。

ゲルデマン、なんかさっぱりした感じ。

現役時代よりいい表情をしている。


第二の人生で成功をお祈りします。

http://www.abc-mallorca.com/nama-deia/
http://www.abc-mallorca.com/nama-deia/
https://www.halternerzeitung.de/lokalsport/muenster/Familienfeier-wird-nachgeholt;art1004,353377
2017.02.02 Thu | Road Races| 0 track backs,
スキージャンパー時代のプリモシュ・ログリッチェ
高梨沙羅ちゃんが50勝目を達成した瞬間、TVで見ていた。

ふと、思い出したのがロット・ユンボのログリッチェ。

「2007年スキージャンプJr世界戦の団体優勝メンバー」
(引用:チクリッシモ選手名鑑2016年版 29頁のAsakaさんの文)
だったそう。

以前Cycle Sportに出ていたのがこの写真。
現役時代、こんな感じだったのか。

IMG_3326.jpg


わが夫のツーレはクロカンをやりながら
ジャンプにプチ挑戦したことがある。

30m級はなんとか立てたものの
40m級は一度も立てなかったらしい。

それが70m級とか、ありえない世界、なのだそう。


そんなテクニカルなスキージャンプで成績を残しつつ
ロードに転向とは、珍しいケース。

競技人口的にはロードレースの方が
狭き門、なのではないのだろうか。
2017.01.30 Mon | Road Races| 0 track backs,
アーカイブ更新情報と、2002年2月22日のロードレースアーカイブ
2002年2月25日のニュースを以下にインプット済み。


内容は、白髪が出始めたジャラベールの選手としての進化の話 

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/

それから、2002年のバレンシアツアーのお話は、以下に記載: 

 ***** 

2002年2月20日のバレンシアツアー第4ステージには、リカルド オチョアが車に轢かれて死亡した事故現場がコースに含まれていた。スタート地点のルセナから141.6キロ地点だった。第4ステージ区間優勝を飾ったハビエル パスカル ロドリゲスは、レース後、
「あの事故現場の地点を通過したとき、胸にぐっと熱くこみあげるものがあった。」と語った。

ゴールに入った瞬間、天を指差しオチョアに合図を送ったロドリゲス。ケルメ時代、彼はオチョア兄弟とは無二の親友で、互いの家を行き来した仲だった。事故のあった2月15日から1年後、ロドリゲスは、堂々と胸を張ってリカルドに優勝報告をしたに違いない。

彼はゴールしてから、リカルドの彼女インマと抱き合い、そして、ポイント賞のツァベルは、オチョアの父にポイントリーダーの花束を捧げたのだった。

ロドリゲスが、優勝を捧げたのは、実はオチョアだけではなかった。他に2人、優勝を捧げた人がいる。まず、チームのメカニックであるカルロス ビダレス。彼の奥さんアナが、先日亡くなった。それから、最近亡くなったジュニア時代の監督だったマンサニヨ氏にも、優勝を捧げた。

自転車レースは、サッカーなどに比べると、何故かとてもEmotionalなスポーツ。

人々はみな、ゴールを目指して走るだけ、丁度サッカー選手がゴールめがけてボールを蹴るように、そして、野球選手がひたすら打ったり投げたりするように。


だけど、自転車選手のレース後のインタビューは、野球の試合後インタビューとは全然違う。「ファンのみなさん、応援ありがとうございました!」だけでは終わらない。様々な選手が様々な思いを胸に走っていて、悲喜こもごものうちに展開する、まさにスポーツのロードショー。
2017.01.29 Sun | Road Races| 0 track backs,
オチョア 事故から1年 明らかになった事実
以前のニュースのアーカイブを今は亡きInfoseekからライブドアブログに移行する作業をしているが、ニュースが長いためライブドアの方に敢えて移行しなかったオチョア兄弟の事故に関するニュースを、こちらに掲載してみることに。

ニュースリリースの日付は2002年2月16日。事故からほぼ1年経ったときのこと。

オチョア兄弟の事故から1年が経ち、当時のニュースではカバーされなかった詳細がぽつりぽつりと出始め、改めて事故の大きさを思い知らされたのを覚えている。


特に、昏睡状態だったハビエルについて、医師からは葬式の用意をするよう提案があった、とか
院内感染のせいで肺切除せざるを得なくなった、とか、
事故直後、双子で顔が似ているため、どちらが亡くなったのか混乱があった、とか。

本当に改めて痛ましい事故だった。


==== オチョアの事故から1年後、明るみになったニュース ====


2002.2.16のトクダネから:

2001年2月15日、夜19:40、バスク地方のオチョアの両親のもとに一本の電話が入った。リカルドとハビエルの双子の兄弟の片方が死亡、もう片方が重態という知らせだった。

しかし、両親にも、病院関係者にも、一体どちらが亡くなり、どちらが重態なのかわからなかった。顔が似ていて区別がつかないためだ。知らせを聞いて、父は訳もなく壁をぶんなぐったという。

一方、事故のあったマラガでは、オチョア兄弟の片方の彼女が、ふたりを判別するために病院に向かった。彼女は判別の鍵を知っていた。ハビエルの方は、胸にほくろがある。亡くなったリカルドは、その直後に開催されるブエルタ ア アンダルシアに出走予定だった。しかし、リカルドの死で、ケルメはレース出場自体をとりやめた。誰も走る気力が湧かなかった。

1年経った今、ハビエルが少しずつ、自分の言葉で心境を語り始めた。

リカルドがいなくて、もう二度と一緒にトレーニングをすることができない、もう二度と一緒に映画にも、旅行にも行けないんだ、それを自身に言い聞かせて、その状態に慣れるように努力している。

無常にも自分の人生は続いていくのだと実感していること、事故を起こしたボルボの運転手には、悪意は感じないが、それでも一生罪の意識を味わってもらいたいと思っている、などと。

ハビエルは、意識が戻った後、マラガの病院から途中でバスク地方の病院へ転院しているが、転院前の病院で両親はやるせない思いを味わっていたことが、このたび判明した。

マラガの病院のICUでハビエルの昏睡状態が続いていた時、医師は、両親に、「なぜ不必要に延命行為をして、病人を苦しませるのか?」と問いただし、「ハビエルの葬式の用意を始めるように」、と告げたというのだ。

両親は、くじけそうになりながらも 彼の生還を信じた。そして、昏睡後60日を過ぎてから、奇跡が起こった。ハビエルが意識を取り戻したのだった。しかし、病院に対する家族の不信を引き起こした事態が更に起きた。院内感染により、ハビエルは片肺の切除を余儀なくされたのだった。

先日スペイン国王と面談したハビエル。国王からどんな言葉をかけられたのかと聞かれて、「TVで見るよりもハンサムだね」と言われたそうだ。また、彼としては、「プロの自転車選手として再びカムバックするという希望は捨てていない。時間はかかるけれど、不可能ではない、と思っている。

でも、もちろん、チームケルメがノーと言えば、諦める」、とも。事故の後、スペインでは道路交通規制法を改正し、サイクリストを保護しようとする動きがある。

これについてハビエルは、「それは、プロ、アマ関係なく一個の人間としての権利だ。自動車を運転しているのが人間なら、自転車に乗っている人も人間。車の運転手は、自転車をモノとして扱わないで欲しい。自転車イコール人間なのだ、ということを忘れないでほしい。車と自転車の事故の場合、サイクリストは、とても弱い存在なのだ。」と述べた

現在、少々ふっくらしたハビエル。マラガの病院からストレッチャーで移送される時は、視線は宙を漂い、まだ完全に病人の形相だったが、今ではあの時の面影は全くない。

彼の満面の笑顔も復活した。将来マラガに別荘を建てるのが夢と語る。医師によると、彼の回復力の源は、強い精神力だという。それは、自転車競技の中で培われた精神力なのかもしれない。(上記内容は、2月15日付けスペインのスポーツ新聞各紙を総合して作成。)

2017.01.05 Thu | Road Races| 0 track backs,
マキュウェンのバイクは既製品 / アーカイブに2001年レタップ参加者記録などをアップ
先日アーカイブを更新したニュースのうち、2002年2月19日のビアンキチームのエントリーで、
”選手全員のバイクがカスタムメイド”、と特記されていた。


当時ほかのチームはどうだったのだろう?とチェックしてみたところ、
ロット(使用バイクはライトスピード=Litespeed)の場合、基本既製品だった。

例えばロビー・マキュウェンが使用したLitespeed Vortexは既製品。
チミルのバイクもしかり。

26人の選手のうち、ジェオメトリーを修正したのは9人分のみ。
また、修正といってもヘッドチューブやトップチューブの長さ調整にとどまり、アングル調整などはしていない。


それゆえに、当時ビアンキチームは恵まれている、と言われていたようだ。


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** 1999年10月以降(~2015年)のロードレースニュースを移動中 **


ロードニュース アーカイブ更新情報 : 2002年2月24日のニュースまで更新終了。

・ 2001年レタップ参加者記録(女性の登録人数は過去最高の160人弱, etc)
・ ランスのトレーニングメニュー
・ パンターニ

・・などのアーカイブニュースをインプット。


==> ロードニュース アーカーブサイト: http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/


2016.12.29 Thu | Road Races| 0 track backs,
ツアー・オブ・カタールが開催中止に
2017年ツアー・オブ・カタール(2月6-10日に予定されていた)と、レディース・ツアー・オブ・カタール。
このほど急きょ開催中止の発表があった。 ==> http://www.cyclingnews.com/news/tour-of-qatar-and-ladies-tour-of-qatar-cancelled/

スポンサー離れが原因だという。


2002年にツアー・オブ・カタールが開始になったときは、
鳴り物入り、という印象があった。

主催者はASOで、レースレポートはバッチリ。
宿泊ホテルなども豪華で、
前年に勃発した911後、世界情勢が不安定な中敢行され、
レースは成功を収めた。


オイルマネーは盤石、そう思っていたのだが、
現実は甘くなかった。

カタール出身のトップエリートがいるわけでもなく、
地元の人々の関心を引き付けることが難しかったのか。


男子レースについていえば、ワールドツアーに格上げになり、
中東におけるロードレースのプレゼンス拡大が期待されていただけに、
UCIの世界拡大プランの失速感は否めない。


2016.12.28 Wed | Road Races| 0 track backs,
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