アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その3 
アルベルト・コンタドールのニュースアーカイブその3.
ブエルタ・ア・アストゥリアスで病気を発症した時の様子:

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2004年6月15日
◆ 本当の恐怖は、退院後にやってきた

2004年5月12日、ヴエルタ・ア・アストゥリアス第1ステージ
開始43キロ地点で落車したアルベルト・コンタドール。


当初の情報が二転三転したものの、
脳から出血していて途中で気を失った上での落車であることが判明した。

単なる落車でないと判明して以来、スペインの新聞は容赦なかった。
事故直後の写真に映ったコンタドールの様子には誰もが衝撃を受けた。
眼は虚空を漂い、不吉な様相を呈していた。


レースドクター、フェルナンデス・スビサレタの素早い行動が、まずは彼の命を救った。
舌が喉の奥に吸い込まれ、軌道をふさいで窒息するリスクが高かったため、
すぐさま気道確保のチューブ挿入の決断をした。
「痙攣がひどくて、挿入するのは至難の業だった」そうだ。
この判断がなければ、こと切れていた可能性は高かった、と言う人もいる。

とはいえ危険な状態に変わりはなく、
オートバイに先導されて最寄りのオビエドの病院にすぐさま直行した一行。
ところが、ここでハプニングが起こる。

猛スピードで向かうために道を開けてくれていたオートバイがパンクに見舞われた。
仕方なくそれから先は、先導なしで進むしかなかった。


オビエドの病院では、検査が行われ、
頭部の血種は落車による外傷ではなく、脳内で発生したもので
そのせいで落車したことが判明した。

とりあえずその場は手術なしで経過観察となり、
数日間入院の後、初期対応で帰宅の途に就いた。


ところが、本当の恐怖はこの後にやってきた。
(続く)


2017.09.03 Sun | Road Races| 0 track backs,
アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その2 アストゥリアス一周で九死に一生
引退目前のアルベルト・コンタドールの関連記事を
過去のトクダネ・アーカイブから拾っていくシリーズ、その2回目。

彼の名が最大マグニチュードで脳裏に刻まれた一連の病気レポートの発端は、
2004年5月のブエルタ・ア・アストゥリアスだった。

ただ、まだこの時は、文章によるレポートのみだったこともあり、
それほど深刻とは思っていなかった。

以下の恐ろしいYOU TUBE動画がアップされたのはそれから7年後のことだ。




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2004年5月16日
◆ アルベルト コンタドールの病状 

2004年5月12日、ヴエルタ・ア・アストゥリアスの第1ステージ 43キロ地点で落車をした
リバティ・セグロスのアルベルト・コンタドール。
運ばれる時のレポートから、怪我の具合がかなり心配されたが、
頭部外傷のほか、動脈瘤が発見されたことがわかった。

事故直後の記事では、落車で負傷というストーリーだったけれど、
数日後に目にした報道によると、彼は痙攣を起こしていたとのこと。
(後記:後年アップされた上掲のYOU TUBEで、さらに克明な状況が明らかになる。)

つまり、落車で動脈瘤になったのでなく、
動脈瘤よる何らかの発作を起こして落車したと見られる。

彼は家族の病歴にも動脈瘤の所見がある。
バイパス手術を行えば、選手生命が終りということはないという。

コンタドールは去年オンセでプロ入りした。
まだ21歳のマドリッド近郊ピント出身のライダーだ。
2017.09.02 Sat | Road Races| 0 track backs,
アルベルト・コンタドール引退 2003年以来のニュース総動員 その1
アルベルト・コンタドールが2017年ブエルタを限りに引退する。

2003年にオンセに正式加入してから、すぐさま彼の名前はリザルト表の
上位に出てきて驚いたのを覚えている。

しかし彼の名を一躍(悲しい形で)有名にしたのは翌年発症した病気だった。
そのインパクトは余りに激しく、心配を伴いつつ彼のことはその後も長らく
注視していた。

そんなわけで、過去のトクダネ記事からコンタドール関連のものを
引退記念で一挙公開することに。


最初は、プロ1年目の2003年6月の記事。
トクダネ初登場のときのもの。
一か所だけ、チラリとリザルトに触れているだけではあるけれど、とりあえず全文公開。

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2003年6月8日) 
◆ 破竹の勢いオンセ + ウルリッヒ山岳ステージ18位をどう見るか 

ドイツランドツアー5日目。1位オンセ、2位 オンセ、3位オンセ、4位オンセ、
5位クイックステップ、6位オンセ、、

というリザルトを見ると、あれ?今日はチームTTの日だったけ?と思ってしまいそうになる。

しかし、そうではなく、191キロのれっきとした山岳ステージだった。
区間優勝したのはオンセのポルトガル人アゼヴェド。

続いて折り重なるように同着で着いたのが昨年のドイツランドツアーの覇者、
イゴール・ ゴンザレス ・デ・ガルデアノ。3位ノサル、4位ヤクシェとオンセが続き、クイックのマイケル・ロジャース(それにしても活躍が目を引く)を挟んで
6位がオンセのコンタドールだった


一方で期待のウルリッヒ(チームビアンキ)は1分22秒遅れの18位。オンセの前に歯がたたなかった。長い間レースから遠ざかっていたウルリッヒの山岳での力の限界を、さっそく指摘する声もある。しかし、ウルリッヒ本人はそこそこ結果に満足しているようだ。

「18位とはいえ大満足さ。レース前は(優勝も視野に入れて)自分に期待していたが、現実はそうはいかなかった。まだ力が完全に出せず、なめらかな走りができなかった。でもツールに向けて上り調子だと思う。」とレース後にウルリッヒは語った。

一方、監督のペフェナーフ氏も(注:元コーストの監督フェルナンデス氏は、新チームビアンキでは監督ではない。ウルリッヒのマネージャーとしてテレコムから移籍したベルギー人のペフェナーフ氏が、現在ビアンキの監督を務める。)この結果には満足しているという。「ヤンは長い間、こんなきつい山岳ステージはこなす機会がなかった。今は、彼の実力がどの程度の位置につけているかを探るのが重要。今後やるべきことがいっぱいある。」

ウルリッヒは別にしても、カセロはトップから10分以上遅れ、今季はまだ全くいいところがない。最も彼の場合、シーズン前半は往々にしてこういう状態で、ヴエルタなどのグランツールで急浮上するタイプではあるけれど。

ともかくチームビアンキ全体としてみると、この日活躍したオンセの選手などに比べて随分 戦力となる駒の数が劣るので、ウルリッヒがツールで十分なアシストを得られるか、ちょっと不安材料があるように思える。

この日のステージで総合リーダーとなったアゼヴェドは、リーダージャージであるホワイトジャージを身に付けた。(厳密には白+青のジャージ。)

レース最終日は9日月曜日。なお、ドイツのレースなので、レース写真はドイツのサイトにいい写真がある。大活躍のオンセ、ビアンキトレイン、レース中と後のウルリッヒなどの写真があり、写真の質がいいわりにはページはさほど重くない。
2017.09.01 Fri | Road Races| 0 track backs,
アーカイブ更新 & ゼッケンの話
http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/ にて、トクダネニュースアーカイブを更新。
現在2002年4月中旬のニュースまで以降済み。

病気が判明したホセマリア・ヒメネスのニュースなど。


なお、先のゼッケンの話題に関連して、
以下は、キリエンカのゼッケン。
台紙なしで使用した例。
指摘があった通り、見るからに粘着力が高そう。
カヴも台紙なしで使用していた、との情報。

IMG_5504.jpg 




2017.08.27 Sun | Road Races| 0 track backs,
ワレン・バルギル、チーム命令でブエルタを後にする
◆ 2003年ブエルタ追放事件の原因は「女性連れ込み」、2017年は「利害不一致」


ブエルタにおけるチームサンウェブの方針とバルギル個人の目標が一致しなかった、
そんな内容のチームコミュニケとともにワレン・バルギルがブエルタを去った。

http://www.cyclingnews.com/news/sunweb-send-barguil-home-from-vuelta-after-disagreements-over-tactics/

スーパードメスティック役に納得できず、
チームオーダーにそむいてエース役のケルデルマンを牽引しなかったバルギル。

来季はフォルトゥネオへ移籍することが決定しており、
ある意味 捨て身だったのか?
チーム側はそれゆえに決裂をいとわなかったのか?
とにかく通常なら話し合いで解決してレース続行にもっていくべきところだろうに。


「チームによるブエルタ追放」と聞き、真っ先に思い浮かべたのが、
2003年のヘスス・マンサノ事件。

あれは追放自体のニュースよりも、その余波の方が衝撃的だった。
マンサノは追放されたことに腹を立て、報復を決意。
類を見ない大スキャンダルに発展した。


ことの発端は2003ブエルタの最中、マンサノが女性を部屋に連れ込んだこと。
当時これは禁じ手としてチームから選手に周知されており、
規則破りでマンサノは解雇。当然ブエルタも同時に追放になった。
第20ステージのことだった。


これに激怒したマンサノは、チームぐるみのドーピング事情を
一切合切(当時所属していたケルメでは、薬物違反・血液ドーピングは習慣になっていた)
告白し、新聞紙Diario ASに売った。

血液ドーピングの際には、血液保管状況が悪く、
体内に戻した血液が劣化していて、死にそうになった、
そんな生々しい告白も含まれていた。

薬物名、最適なドーピングのタイミングなど、その手口も極めて詳細に語られ、
世間に与えた衝撃は大きかった。

ところがそのマンサノ、それだけ真っ黒な告白をしても、
2004年には所属チームが見つかって、アモーレ・エ・ヴィータに移籍した。
法王からのご加護を受けるなど話題にもなった。
しかし精神的に不安定となり、引退。

その後地元で庭師になったと伝えられる。


2017.08.26 Sat | Road Races| 0 track backs,
週刊 ニッポンの国宝100 1 阿修羅/風神雷神図屏風がお得
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2017.08.26 Sat | Road Races| 0 track backs,
ゼッケン考察
チクリッシモ・ツール号のオフィシャルスポンサー記事を読んで
手元にあるゼッケンコレクションを確認したという
ランスマニアさん。
メッセージには、それに関連してツールのゼッケン素材に関する
コメントが寄せられていた。

==== 引用 ====

今年からゼッケン自体のメーカーが変わりましたよね
素材も布の様なボスティック社  接着剤の会社みたいで
粘着が良すぎて一度くっつくと取れないのは
良いのですが、強力過ぎです。
接着面どうしがつくと、もう取れません。
剥がそうとすると布地が伸びてしまい、、
布地でジャージと一体化して剥がれずに
選手にとっては良いのかもですが、
選手の中にも台紙ごと安全ピンで留めていたり様々です。

(例えば)トーマスは台紙ごとでしたね。
一部黄緑の裏台紙がのぞいてます。

==== 引用終わり ====


ということでその証拠画像を送ってくれた。

IMG_5481 (2) 


ランスマニアさんや
前回ジャージの匂い関連のメッセージをくれたSさんは、
年季の入ったロードファンで、かなりピンポイントのところを長年追求している人達。

昨今選手情報などは簡単に手に入る時代なので、
誰もが一般的な情報はもつようになった。

けれど奥深い話となると、個々の探求心
がなければなかなか得られない。

彼らのこうした地道な追求ぶりには舌を巻く。



2017.08.26 Sat | Road Races| 0 track backs,
アンドレ・グライペル 母のALS罹患を契機にチャリティーに励む
ロット・スーダルのアンドレ・グライペルのお母さん、グートルンさんは、
ALS: 筋萎縮性側索硬化症に罹患している。

それを契機に、ALS患者を激励したり、
ツール・ド・ALSというチャリティーレースに出場するなどしているグライペル。

彼には姉がいるものの、ドイツ国内とはいえ
遠隔地に住んでいるため、親のケアは彼が担っているようだ。

この夏は施設探しに尽力するなど大変な日々だったという。
今夏ツールでの不調はそうした心労も一因だった、
そんな談話がチームGMのマルク・セルジャンからこのほど出ていた。


つい数年前まではツールを観戦して、
息子の活躍を喜んでいたグートルンさん。
突然の病の告知は青天の霹靂で、彼にとっては大きな衝撃だった。

http://m.nieuwsblad.be/cnt/dmf20170824_03032709?utm

2017.08.24 Thu | Road Races| 0 track backs,
大丈夫かAISの選手たち?
マーク・ジェイミーソン(2008年TOJに出場)が16歳未満の少女との淫行で執行猶予付きの判決を受け、
スティーヴ・ウールドリッジ(元トラック選手)がこの8月に自殺、
ジャック・ボブリッジ(元トレックなど)が薬物取引で逮捕。

全員オーストラリアのエリート自転車選手養成機関AIS出身の選手たち。

肉体面のトレーニングだけでなく、
精神面のカウンセリングなども強化した方がいいのではないか?AIS。


とにかくボブリッジが薬物ディーラーなどという影の顔を持っていたことには驚いた。
自分が薬物を使用し、
その延長戦でディーラー業にも手を染めたのでは、などと疑心暗鬼になる。

元ラボバンクのマルク・ロッツがまさにそのパターンだった。


ジェイミーソン(右・TOJでは最終日の時点ですでにリタイアしていた)
Pa1340076.jpg 


2017.08.24 Thu | Road Races| 0 track backs,
ツール号

2017.08.18 Fri | Road Races| 0 track backs,
ジャージの匂い 
あくなき執念。
何年越しの試みか・・・

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Email from SN-さん

長年の謎だったジャージの匂いの件。
とあるチームスタッフは、「洗剤はイタリアのDash を使っているよ」と
話していたので、何とかして入手したいと思っていました。
でも単価が安いからか、日本に輸入されていないので、諦めていました。

ところが、イギリスのアマゾンに出店しているイタリアの業者から
買えることが判明!
割高なのを我慢して取り寄せました。
色柄物向けのが手に入りました。

結果は…残念!(;_;)
普通に洗剤の匂いでした。

完全に迷宮入りですね…

KIMG0361 (2) 



2017.08.16 Wed | Road Races| 0 track backs,
アラン・デイヴィス・・・・今昔
かつてAISのメンバーで、オーストラリアトラックメンバーとして
走ったことがあるスティーヴ・ウールドリッジが亡くなった。
享年39歳。

かつての同僚たちがいっせいに哀悼の言葉を発信していて本訃報に気が付いた。
ザック・デンプスターやアラン・デイヴィスなども故人との思い出などを書き連ねていた。
(追記:自ら命を絶ったというのはそうした哀悼の辞の内容からわかったのだけど、
敢えて書きませんでした。
今ニュースサイトなどを見たら、その話はすでに広まっているようですね。)


コメントを寄せたうちのひとりアラン・デイヴィス
久しぶりだなぁ、どうしてるかな、そう思って何気なく彼の近影を見たら --


2allan.jpg 

あれ、すこしふっくらした?


P1080332.jpg


アラン・デイヴィスサイクリングという自転車チームを立ち上げているようだ。

aP1080332.jpg a2allan.jpg


TOJで来日して、少年ぽい顔を見せていたあの印象が強くて、
オトナのデイヴィスにはなじめないけれど、
元気そうでなにより。


以下の写真はツール2004のとき。
リバティのロゴはついていた。
06年に勃発したオペラシオン・プエルトでチームも彼自身も
すったもんだの状況になった。

P7243172.jpg
2017.08.15 Tue | Road Races| 0 track backs,
コンタドールとスカルポーニその同僚時代
昔のツール・ド・スイスの写真を物色中、
思わず手が止まった。
この写真を見つけて。

オペラシオン・プエルト勃発直後、
リバティセグロスがスポンサーを降り、
白抜きジャージになってしまったときのふたり、
コンタドールとスカルポーニ。
2006年。

P1080338.jpg 
2017.08.15 Tue | Road Races| 0 track backs,
アルベルト・コンタドール 引退特集 その1
RIMG0036_20170808112523a7c.jpg 
2005年4月28日。


2004年5月に脳の海綿状血管腫を発症し、アストゥリアス一周の最中
倒れたアルベルト・コンタドール。

以来長い道のりだったが、今季ブエルタを最後に引退表明をした。

引退表明は2度目だけれど、1度目の表明をキャンセルした後、
絶頂期の走りを見ることはできなかった。

トクダネニュースでコンタドールが最初に登場するのは2003年6月だった。
レースリザルトのみだけど。
次のエントリーが2004年の例の病気のとき。

以下再掲:

ちなみに上の写真は奇跡の復活を果たした2005年4月末のもの。
発症・血種の手術後、復活して4か月少々のときのものだ。

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破竹の勢いオンセ + ウルリッヒ山岳ステージ18位をどう見るか ( 6.8.2003 )

ドイツランドツアー5日目。1位オンセ、2位 オンセ、3位オンセ、4位オンセ、5位クイックステップ、6位オンセ、、というリザルトを見ると、あれ?今日はチームTTの日だったけ?と思ってしまいそうになる。しかし、そうではなく、191キロのれっきとした山岳ステージだった。区間優勝したのはオンセのポルトガル人アセベド。続いて折り重なるように同着で着いたのが昨年のドイツランドツアーの覇者、イゴール ゴンザレス デガルデアノ。3位ノサル、4位ヤクシェとオンセが続き、クイックのマイケルロジャース(それにしても活躍が目を引く)を挟んで6位がオンセのコンタドールだった。
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アルベルト コンタドールの病状 ( 5.16.2004 )

ヴエルタアアストゥリアスの最中 43キロ地点で落車をして、頭にも怪我を負ったLセグロスのコンタドール。運ばれる時の様子から、怪我の具合がかなり心配されたが、外傷のほか、動脈瘤が発見された。事故の時、彼は痙攣を起こしてと伝えられているが、落車で動脈瘤になったのでなく、動脈瘤よる何らかの発作を起こして落車したと見られる。

彼は家族の病歴にも動脈瘤の所見がある。バイパス手術を行えば、選手生命が終りということはないという。コンタドールは去年オンセでプロ入りした。まだ21歳のマドリッド出身のライダーだ。


RIMG0187_20170808112524799.jpg 

2005年5月1日。TDRにて。

2017.08.08 Tue | Road Races| 0 track backs,
アンヘル・ビシオソが今季限りで引退
P1080339.jpg 

クラシカ・サンセバスティアンで引退したアイマル・スベルディアに続き、
40歳プロ選手がまたひとりプロトンを去る決意をした。
カチューシャに所属するアンヘル・ビシオソだ。

引退の直接的なきっかけになったのは、
7/17の本ブログエントリーで触れた一件だった。

トレーニング中の交通事故で、なぎ倒された。
ケガのダメージより、精神的なダメージが大きかったようだ。


自転車漬けの生活はいや、といいつつオン・オフを使い分けていたビシオソ。

安泰な家族生活を脅かすこの仕事に
そろそろ終わりを告げたいと思っていた矢先の事故だった。

これまで所属したチームは8つ。
ケルメ、オンセ、リバティセグロス、レラックス、LA-MSS、アンダルシア、アンドローニ、そしてカチューシャ。


個人的に印象深いのは、2006年ツール・ド・スイス。

オペラシオン・プエルトの一件でリバティセグロスがスポンサーを撤退し、
胸のロゴが真っ白になり、チームに不穏な空気が流れていたとき、
ビシオソはそんなこと全く意に介さないとばかりに淡々としていた。

オペラシオン・プエルトに加担した中心的選手の一人であったにも関わらず、だ。

山あり谷あり、はこの世界では普通のことさ、といった腹の座り方が
痛々しいほど華奢で弱々しい風貌と対比をなしていて
面白い選手だな、と思った。

写真左のイエルク・ヤクシェのゲルマン的深刻顔とは対照的だった。


P1080339.jpg 

https://as.com/ciclismo/2017/08/01/mas_ciclismo/1501578583_597620.html


2017.08.03 Thu | Road Races| 0 track backs,
マイケル・マシューズ やんちゃだった頃
TOJなどで活躍して、日本では以前からおなじみだったマイケル・マシューズ。
写真は2010年。


P1810629.jpg 


かつて彼がやんちゃだった話はくまたろうさんの話で知っていた。
キラキラ好みでBling呼ばれていたらしいけど、服は白がお好みなのかな。
マシューズ変遷がツイートされていた。

 mm.jpg


お母さんおきれいで、女優さん風。
誰かに似ている。誰?
「アンヌとアントワーヌ」に出ていた仏女優エルザ・ジルベルスタインあたりかな。

2017.07.24 Mon | Road Races| 0 track backs,
今昔 ローラン・ブロシャール
ロードレース、ことツールは、過去のレースの参照が
頻繁にに行われる。

ツール中継の前に過去の名場面をさしはさんだり
報道でもかつての名選手との比較を行ったり。


こういうのはスポーツにおいては当たり前のようではあるけれど、
夫によると、クロスカントリースキーに比べて
その差は歴然だという。

クロカンの場合は、タイムの歴代記録がない。
xxxxのコースレコードは、、という取り上げ方は一切ない。

雪のコンディションが毎回異なり、
同じコースを作ることはできないので、
xx峠の登坂記録、最高タイム、平均時速比較などは行わない。


過去の闘いと現在を比較することはできず、
時間の記録ではなく、勝率のみでの記録になる。


つくづくツールの歴史重み、厚みはすごいと思う。

急にこんなことを考えたのにはわけがある。
タイムラインに突然ローラン・ブロシャールが登場した。

アルカンシェルを着用した写真も出ていた。

ああ、そうだ。
私がリアルタイムで(メディアを通じて)目にしたアルカンシェルが
この人だった。
そして、カメンツィン、フレイレと続く。

歴史はどんどん積みあがるなぁ・・・
世界選はまだワンデイだけど、ツールなんて3週間。
濃い中味が記録されては後年再び参照されていく。


ところでブロシャール、かつての長髪は短髪に。
渋さに磨きがかかった。


Lauent.jpg 






2017.07.21 Fri | Road Races| 0 track backs,
プリモシュ・ログリッチェのジャンパー時代
■ ジャンパーはスピードマン、クロスカントリースキーならクライマー


ツール表彰台で愛嬌のあるテレマークを決めた
ロットNLユンボのログリッチェ(ログリッチ)。

以前UK Cycle Sportにスキージャンパー時代の写真が載っていた。

IMG_3326.jpg


スキーフライングでは183mのパーソナルベストを持つというログリッチェ。
記録を出したのは、2011年。
その2年後、23歳の時にはAdria Mobilの選手としてロードに転向している。
ロットユンボの選手になったのは2016年から。
そしてさっそくジロTTで優勝。

今年のロマンディ一周ではリッチー・ポート、サイモン・イエーツに次いで総合3位だった。


ちなみにー
1)クロスカントリースキーをやっている夫いわく、
ジャンパー出身ならスピードマン、クロカン出身ならクライマー
という構図が多いらしい。
けれど昨日ログリッチェが優勝したのは山岳区間。
ってことは、複合もやっていたか?


2)上述のスキーフライングで183mを出したのは
ドイツ、オーベルストドルフのハイニ・クロップファー・スキージャンプ競技場。

船木和喜さんが1998年に
W杯のスキーフライング世界選手権で金メダルを獲得した場所のようだ。



2017.07.20 Thu | Road Races| 0 track backs,
ブエルタ:ポディウムガール廃止の動きに同調
■ ミケル・ランダ:「ポディウムガールは、まるで女性を道具と見なしている」


昨今ポディウムガールに対する批判が強まる中、
今年、ダウンアンダーでは廃止を決定。
ジュニア選手を起用した。

今年のポディウム風景:
ewan.jpg 


イタリア人選手のポディウムガール批判は耳にしたことがないけれど、
マッチョの国スペインでは、ポディウムガールを女性差別ととらえ、
批判する声がちらほら聞かれていた。


とくに声高に批判の声を挙げたのは、スカイのミケル・ランダ。
ダウンアンダーでの改革にもろ手を挙げて賛成を唱えた:

「大賛成だ。 表彰台上の女性の存在には反対だった。 
まるで事物(Objeto)のような扱いではないか。 廃止してこそ健全になる」、と。


そんな中、ブエルタでも、再見直しが行われている。

性急な全面廃止は難しそうだが、
開幕日には正装の男女といった違う観点のセレモニーを検討中。


とはいえ、こうした流れと対局なのはイタリア。
イタリアで開催された世界選は、開場設置が間に合わず、
ところどころ、木材を渡して通路を確保するといった
突貫工事ぶりを見せていた。

けれど、セレモニー用衣装だけはばっちり:

P1420355_2017071908224621c.jpg 


ドイツ・シュトゥットガルトの世界選と比べて、
ポディウムガールへの執着ぶりは、明らか。

P1130418.jpg 


パヴェル・トンコフ、スチュアート・オグレイディ、アンヘル・カセロ、
ジョージ・ヒンカピー、コーエン・デコールトなどなどポディウムガールが妻
という選手は多い。

オグレイディやデコールトの場合は、”ツアー・ダウンアンダー”の元ポディウムガールだ。

こうした昨今の動向を惜しむ声も、一方でありそうではある。
(特にイタリアを中心に?)


http://www.cyclingnews.com/news/tastefully-dressed-men-and-women-to-replace-podium-girls-at-vuelta-a-espana/


2017.07.19 Wed | Road Races| 0 track backs,
チームスカイのブレイスフォード、CNの記者にキレる
記者対応についてとかく言われることが多いチームスカイ、
及び総帥のブレイスフォード。

ついに今回のツールの休養日に、CN(Cyclingnews)の記者を


これまでの記事内容が問題視されたとされているけれど、
ツール前にCNがブレイスフォードに対する個人攻撃にも近い長編記事を出したことが、
直接の火種になったのかもしれない。

6月末に出たCNの当該記事を読んだけれど、
なるほどこれか、という感想。
悪意を発動したときの朝●新聞、だった。


ブレイスフォードのCNに対する怒り・対応は、
先の今●復興大臣のまじギレ質疑応答を彷彿とさせる。
あれでは悪循環だ。


特にブラッドリー・ウィギンスの薬物報道やチームの関与が取りざたされ、
本国の公聴会にも召喚された一件以来、ブレイスフォードの信用はがた落ち。

本件に関する説明責任をまったく果たしていないこともあり、
記者の不信を買った結果が、あのCNの記事につながったのだろう。


監督の話ではないものの、母国のメディアと蜜月関係を築き上げていた選手を知っている。
記者の人達はもう当該選手を目の中に入れても痛くないほどかわいがり、
あの雰囲気では否定的なことなど書きにくそう、、、とまで思えるほど。
みんなが知り合いで、少なくとも報道の切り口は、一方的な悪意には
絶対なり得ないだろうな、と思われた。

やはり「北風と太陽」では、太陽の方が分があるものだ。
(ただし、その選手が世界的な存在になってしまうと、各国メディアが押し寄せると、
そうしたコントロールも少し難しくはなるのだろうけど。)


ちなみにCNの記事を書いた本人バリー・ライアンはもちろん怒っている。
本人いわく、
「こんなのは(不当な扱いは)ほかに2009年にベルギーのメディア、スポルツァを
ブルイネ―ル監督がシャットアウトした1件しか類を見ない!」


2017.07.18 Tue | Road Races| 0 track backs,
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